敢て順不同で。
伊豆流罪、崇徳天皇、血脈類、教相事相、日月星辰、文永12年、天王寺、弘安元年、金沢文庫、建治2年、金沢称名寺、唯受一人の秘法、口決、八葉白蓮、鎌倉、不同愛染秘密、越中、武蔵、諸法実相、一切仏法、仏法の大小権実、煩惱即菩提、生死即涅槃、臨終狂乱、顚倒、無間地獄、文永6年、建長5年、文永7年、天照太神本地、愛染明王、三悪道、授受相承、血脈相承、経相承、灌頂伝受、師資相承、不動明王、本尊の誓願、必ず師伝に依る、法華経、本尊建立の口決、一の箱の秘事、如意宝珠、口伝、本有。
他にもいろいろあるが、これだけでも実に興味深い。
さて、これらはいったい……。
これって、日蓮さんとか日蓮宗とか日蓮正宗とは関係のないキーワードなんですよ。ほとんど誰も気がついていないみたいですけどね(苦笑)。関係ない、のにこれほどまでにキーワードが重復する、そこを考えないとね(微笑)。
宗教評論家の故・丸山照雄さんは50近く前に立正大学の橘花祭に某サークルから招かれて講演をした。
その時、丸照さんは「天皇(制)は密教から戦後は顕教になった」と発言された。
私は「開かれた皇室というのは宣伝文句であって戦後も密教のままではないか」と質問した。
それが私と丸山照雄さんの出合いの始まりだったが、そのとき丸照さんは虚を突かれたように一瞬沈黙してから再び密教説を述べられた。
丸照さんとのお付合いは断続的だが丸照さんが亡くなる少し前まで続いた。
その亡くなる前に丸照さんから電話をもらったが、それは
「創価学会と日蓮正宗について本にしたいのだが手伝ってくれないか」
「大木さんには年表を作ってもらいたいのと、資料として創価学会問題関連書籍目録と創価学会問題関連雑誌記事目録の簡略版を作ってほしい」
ということだった。
他にも「共編で創価学会問題論集も作ろう」という話もした。
これらも私にとっては宿題である。
丸山照雄さんの「天皇(制)は顕教か密教か」という問題は興味深いテーマである。
それに似ているのが「日蓮正宗には秘密の相伝とか相承はない」という創価学会の見解である。
これは古文書屋だった堀日亨が相伝とか相承について「登座する前から知っていたことばかりだった(趣意)」という発言が元だろう。
堀日亨は「碩学」(by戸田城聖)と思われているが、古文書は読めて「宗史」は詳しくても「宗義・宗学・教学・祖書学」などについての業績らしいものはほとんど無い。
創価学会は堀日亨の発言を根拠として
「日蓮正宗の相伝や相承は富士宗学要集で全てオープンになっている」
という考えのようだが、これは素人考えというしかない。
というより、堀日亨を錦の御旗にしているだけなのだ。
堀日亨が知っていた相伝相承は古文書に書かれたものでしかない。
法門法義についても古文書からの知識だけであった。
それを踏襲したのが「堀日亨嫌い」の阿部信雄(日顕)だったというのはまことに皮肉なことである。
堀日亨は自らを「一時の中継法主」と述べているが、そうではない。
堀日亨はたんに「一時の中継(大石寺)住職」でしかなかったのだ。
阿部信雄(日顕)の場合は「長期の中継(大石寺)住職」だったが、いずれにしろたんに「中継」だったことにかわりはない。
阿部信雄(日顕)は「御仲居」の意味も知らなかった。
もちろん、堀日亨も知らなかった。