第1期、創価教育学会時代
前史1、牧口・戸田の入信 01
昭和3(1928)年、東京芝の白金尋常小学校長をしていた牧口常三郎が、日蓮正宗に入信した。
彼を折伏したのは当時、研心学園(現、目白学園)の校長をしていた三谷素啓(みたにそけい、本名・六郎、1878〜1932年)という人物であった。
三谷については後に述べるが、彼は、禅宗から日蓮正宗に改宗している。
その時期は大正4・5年とも大正7年6月ともいわれている。
著書に『立正安国論精釈』(昭和4年、弾正社刊)がある。
一説では、牧口の方から三谷をたずね、6月頃に池袋の日蓮正宗寺院常在寺において受戒したというが詳しい入信月日は不明である。
この牧口の入信に続いて、その年の秋に戸田城外(後の城聖)も同じ池袋常在寺で受戒したが、戸田の入信月日についても秋頃であったとされるだけでやはり明らかではない。
牧口については、彼の生家がもともと日蓮正宗の信者であったとか、日蓮宗でも派は違っていたとか2、3の説があるようだがこれについても定かではない。
牧口自身の言によると、
「もとは禅宗の家に生まれ、法華の家に養われた」(『創価教育学会体系梗概』昭和10年刊)
という。
もっとも日蓮正宗に入信する以前に国柱会の田中智学の話などを聞きに行ったりして、日蓮宗自体に関心はあったようである。
また、10年以上も禊会(みそぎかい)でも活動しており、そこでの「修養会」が後の「夏季講習会」に活かされることになったのである。(つづく)