FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

牧口常三郎についての断想

 牧口さんの思想はおそらく亡くなるまで「人生地理学」をもって原点とし基本としていたように思います。

 その思想を「どのように実社会において有効たらしめるか」というところから彼の宗教遍歴と運動の変遷があったと考えるべきでしょう。

 戸田さんは、その牧口さんのある部分を継承したとはいえるでしょう。

 牧口さんの「人生地理学」における思想的到達点とは、ある意味では「発見」であり「卓見」であり「創造」でもありました。

 それをそのまま篋底にしまい込んでいればそれは「個人」に属するものでしかありません。

 修行とか達観というのもきわめて「個人」に属するものなのです。

 また「思想そのもの」も同様です。

 それらと実社会の間にはなんら直截的つながり、脈絡といってもいいですし関連といってもいいですが、それはありません。

 その「個人」がそれらを意志的に社会に機能させようとして、はじめてなんらかの「意味」をもつということです。

 牧口さんの場合は「d0153496_16225246.jpg人生地理学」の出版を考えたことで「意味」が生じ、出版したことで「社会性」を持つこととなったわけです。

 その「個人レベル」での「意味」というものを「存在意義」ととらえるか、それとも他のなんらかのものとしてとらえるのか、それはある種の「カテゴライズ」であり「価値判断」に属することになります。

「宗教」とはまさに「カテゴライズ」であり「価値判断」による囲い込みであるわけです。

 さらにその強度を人為的に支配するのが「教団」ということになります。

 つまり
○個人における「思想」「信仰」「修行」「達観」などというものは「社会性」とは直截には関係がない。
○それらが「宗教的共同体」として成立することによって社会と関わることになるが、ここで「個」と「社会」との葛藤が生じる。
○その葛藤を宗教的共同体の中において合理化することで「教団」が発生する。

 大ざっぱにはこのような段階があると思います。
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by siawaseo_anatani | 2012-04-30 16:23 | メモ