FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

創価学会攻防史の研究06

戸田はパトロン

いずれにせよ、戸田がキリスト教に対して心を揺らしているその頃に、まず牧口が日蓮正宗に入信したのであるが、牧口が後に“創価教育”と称する独自の考えを主張し、且つ実際に行なっていたのはそれよりも前のことである。
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当初から牧口の教育思想の実践道場を意図していたかどうかは不明であるが、戸田が学習塾“時習学館”を開いたのは大正13(1923)年のことであり、牧口の教育思想そのものは時習学館の開設以前に既に成っていた。

また、時習学館は前述したとおり戸田が「大正12年ごろ、教師をやめ経済の方へ入ろうとして」始めたものであり、経済活動としての塾経営であった。
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牧口が時習学館に常勤していたことは確かであるが、それは時習学館の経営者としてではなかった。

牧口の正式な雇用関係や身分は不明であるが、戸田から給与をもらって生活していたことは確実であり、表現は悪いかもしれないが、事実上、戸田は牧口のパトロンのような存在だったと考えられないだろうか。d0153496_1265027.jpg


今日、牧口の業績として揚げられる『人生地理学』(1903年)、『教授の統合中心としての郷土科研究』(1912年)などはいづれも牧口の入信以前の著作であり、またD・M・ベセルが指摘するように
『創価教育学体系』は、牧口の「職業教育家としての40年になんなんとする経験にはぐぐまれた哲学と教育学」
の「要約」と見ることが妥当であろう。

確かに『創価教育学体系』は牧口の入信後に出版されているが、その原稿のもととなったメモは、牧口が上京して以来、約20年の間に書きとめられていたものであり、入信したことによって初めて『創価教育学体系』が成ったのではない。
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by siawaseo_anatani | 2012-08-07 01:30 | 創価学会攻防史