たいへん有意義な集いでした。
十数名参加のうち脱会者と未活動会員(辞めたいけれどさまざまな事情で辞めていない)が半々くらいでした。
4時間があっという間で、会場の都合で喫茶店に移って2時間くらい話しました。
その後、話し足りないひとたちがいたので電車の最終くらいまで場所を移して話しました。
辞めた人たちの多くが、辞めた後も「罰があたるのではないかと不安だった」と言っていました。
あと驚いたのは全員が1度も池田さんや大幹部と直接話した事がないにもかかわらず、活動していたときは池田さんを「師匠と思っていた」という点でした。
辞めたり未活になったきっかけは周囲の学会員や幹部の言動や対処のでたらめというのが多く、池田さんのウソや学会史のウソもその中に含むとほぼ全員でした。
さらに深刻に思ったのは、学会に入ってからメンタル面で問題を生じたケース(自覚あり)が数人いました。
留まるのも辞めるのも「自由」です。
今回の「脱会者座談会」でも、まだ脱会していないひとに対しては一言も「脱会をすすめる」ような発言はありませんでした。
脱会したひとは自分が脱会するに至った経緯を話し、未活のひとはなぜ活動から遠ざかったのか、なぜ辞めたいのか、なぜやめるこさができないのか、などを率直に話してくれました。
未活のひとたちからはいくつもの疑問や不安が出され、それらについてわたしをはじめ出席者がそれぞれ意見や回答をしましたが、みなさん納得していました。
「疑うことは謗法」
「疑うことは退転」
「疑うことは地獄行き」
「疑うことは池田先生に対する裏切り」
そんなことしか組織からは返ってこなかったといいます。
つまり、これまで学会の組織の中で1度も明確かつ具体的に回答がなかった、あったのは回答のかわりに「指導」だったり「強制」だったり「脅迫」だったということです。
「退転」「謗法」「地獄行き」「裏切り」などと決めつけることで「脅迫」し「思考停止」させようということですね。
そんなことをしなくても本当に魅力があり自信があるならば具体的かつ明確に回答すればいいだけなのですが、それができない、許されないのがいまの創価学会ではないでしょうか。