FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


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いまさらながらなのだが『本迹体一抄』について

「仏祖の本意に叶う決意で継承」
日蓮宗本圀寺第104世貫首 伊藤瑞叡氏
2013年6月1日付 中外日報(この人)
http://www.chugainippoh.co.jp/interviews/konohito/20130601.html

日蓮宗で「宗門発祥の根本道場」とされる京都市山科区の大本山本圀寺第104世を継承し、5月12日に晋山式を挙行した。札幌市に生まれ、早稲田大第一文学部を卒業後、東京大大学院博士課程を修了。長く立正大で教壇に立ち、つとに日蓮教学の泰斗として知られる。70歳。

本圀寺の起源は、安房の清澄寺で立教開宗を宣言した日蓮聖人が、幕府のある鎌倉・松葉ヶ谷に庵を結び、「法華堂」と名付けたところにある。「立正安国」の激しい獅子吼ゆえに日蓮聖人は生涯に数々の難(法難)をかいくぐり、佐渡へ流される。赦されて身延山へ隠棲した後、弟子の日朗上人が鎌倉の草庵跡を復興したのが本國寺で、これが後に京都六条へ移され「本圀寺」となった。

第2次世界大戦を経て荒廃の極みに達した本圀寺を現在地へ移転、再興した63世中興・伊藤日瑞貫首は実の父。その子は平成19年、吉田日厚・前貫首の求めに応じ「学道求法講院」を再興し、「院長講主」として年10回講義する。父子2代にわたり本圀寺へ奉仕する巡り合わせである。

日瑞上人の命日(5月7日)前夜、父が書斎としていた本圀寺の執事寮2階を掃除していて何げなく手にした掛袱紗に「日瑞用」と書かれているのを見つけ、父の形見を抱いて嗚咽した。その夜、さらに押し入れから日朗上人の弟子・日印が師との問答を記した『本迹体一抄』を発見。本圀寺所蔵とされながら行方不明になっていたものだ。

本圀寺には日朗上人が自ら刻み、日蓮聖人が開眼したと伝える「生御影祖像」が安置されている。日々、御影に給仕しつつ本圀寺護持に尽くした師父のように勤めを果たしたいと願う。

京都に常在しているわけではない。札幌の本龍寺、千葉県佐倉市の昌柏寺と3カ所をほぼ10日ずつ掛け持ちで回る生活を続けている。いま「自分の行道(修行)が仏祖の本意にかない、学道が聖人の趣旨にかなうなら、本圀寺が迎えに来る」と語った父の言葉がよみがえる。

(形山俊彦)

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文中の『本迹体一抄』の記述については多少の錯誤があるが、『本迹体一抄』じたいは大変重要であると思われる。

同書については畏友犀角独歩氏が伊藤瑞叡氏より翻刻を委嘱され、すでに翻刻文は伊藤瑞叡氏の手に渡っている。

このことは松本修明氏からうかがったことである。

雑音を回避するために、翻刻者が犀角独歩氏であることをここに明記させていただくことにした。

もちろん翻刻文には「編集著作権」が発生しており、「編集著作権者」は犀角独歩さんである。
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by siawaseo_anatani | 2013-08-12 18:46 | メモ