FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

元・直達講副講頭、竹尾清澄氏の『唯信唯行』01

三谷素啓の直達講で副講頭を勤めていた竹尾清澄氏の著作を紹介する。
竹尾氏は三谷亡き後、直達講を我が物にしようとした牧口・戸田に対して、潔く直達講を解散することで拒否抵抗を示した。
『唯信唯行』はタイプ印刷されたA5判の私家版小冊子で、今回使用したものは著者直筆の書き入れ本のコピーであり、一般に流布している本文とは多少異なる箇所がある。
奥付がないために発行年月日は不明であるが、「まえがき」の末尾に「昭和三十八年一月二十五日」とある。
今回は、目次とまえがきをアップするが、促音などを含め表記は原本のままである。

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     目    次

ま え が き

十二代法主の化に浴して
  日布上人・日応上人・日正上人
  日柱上人・日亨上人・日開上人
  日隆上人・日恭上人・日満上人
  日昇上人・日淳上人・日達上人
  日亨上人御遷化の前後
  日達上人御代替御法要参詣

唯 信 唯 行
  父母を識る
  本已有善・本未有善と本化
  口 業 正 意
  日寛上人の教行証判によせて在家の教学を考える
  発迹顕本──龍の口御法難に因んで

先師御指南のままに
  日寛上人の御言葉から
   法報応三身
   修   行
   観   心
   南無ということ
   本 と 迹
  日応上人の御言葉から
   本地難思の境智
   上行菩薩の内証と外用

あ と が き

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      ま え が き

                古稀に寄せて
                 子に遺し孫に伝う

 私にとつて古稀は追われるともなく、また、喘ぐともなく何時とはなしに辿りついた宿場である。七人の子の父と成つてからは還暦が私の人生のゴールであつた。還暦にはあの子がどうなつてこの子がどうして、万事は還暦までと考えていたその生活設計は戦災のため根底から覆えされてしまつた。それから十七年たった今立停まつて身辺を見廻すと、そこには伸びてゆく子供達に対する安心感の上昇線と自分の老衰の尺度の下降線との交叉点があるような気がする。薄れゆく過去の断片的な記憶の中には最早愛着もなければ慚愧も悔恨もなくまた未来に求むべき何者もない。世事万端行雲流水吾れにおいて何かあらん、煩悩即菩提生死即涅槃の悟りは道遠く遥かの彼方にあるが、一念妙法に帰すれば吾一身の五大は法界に遍満する所証の境であり、唱題にこめる一念は法界に遍満する能証の智である。そこにおのずからなる境智冥合、刹那成道の法悦が湧き出で思わざるに微吟舌端に躍る、希くはこの境涯を守り目に悪色を見、耳に悪声を聞くこと少なくして残りの幾年かを過ごし度いものである。斯くして迎える私の七十歳は安住地につながる最終コースのスタートになるのではなかろうか。
 日昇上人が常泉寺の住職であられた終戦の年、吉祥寺の仮寓に御立寄りになり依法院の戒名を過去帳に御記入下され水を差上げた処、「吉祥寺の水はうまい。もう一杯」と御所望遊ばされたことがあるが、その後間もなく第六十四世嗣法として猊座にお上りになった時その御座替りの模様を詳しく御誌しになつた御懇篤な御手紙を賜わつた。私は早速額に納めて欄間に奉掲し四六時中仰ぎ拝して無上の光栄に感激し家族一同万代に伝うべき家宝と心得ている。しかし、あの戦災のような場合を思うと何とかして出来るだけ原形に近い複写を造つてもう分家したり近く分家する子供達に与えたいものだと絶えず考えていた。それがどうやら実現しそうになつて見ると急に胸に温かいときめきが起り、ささやかな古稀の宴が今から楽しみ待たれるのである。そこで少しばかり私自身の面影も残しておきたいと思つて、最近二、三年に妙の光に投稿した記事の中から幾つかのものを集録しそれに二、三の稿を加えて見たら小冊子にまとめるのに恰適な紙数になつた。記して此処に至るとどうしたものか不意に頭の中が空虚になって一切の意欲も思索も消え去り全く捉まえ所がない状態になつてしまつた。吾れながら不思議でならない。

         昭和三十八年一月二十五日

              竹  尾  清  澄
                      七十歳
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by siawaseo_anatani | 2008-03-11 03:50 | 資料紹介