FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

元・直達講副講頭、竹尾清澄氏の『唯信唯行』02

十 二 代 法 主 の 化 に 浴 し て
 
 私の初登山は明治三十三年の御大会で、満六歳十ヵ月小学一年生の時であつた。「学校に上がつて寿量品を覚えたら」というのがお山へ連れていつて貰う条件であつた。それまで朝夕の勤行はお題目千回以上、皆と一緒なら方便品と自我偈はついて往かたし寿量品ができるようになつたのは小学入学より前のことである。
 その頃お山へ行くには朝暗いうちに汽車に乗り品川で東海道線に乗換えたのであるが、その乗換を待つホームのすぐ下は海で寄せてはかえす浪の有様まではつきり記憶に残つている。
 初登山の汽車中のことは何一つ憶い出せないが、鉄道馬車を下りた大宮(現在の富士宮)の町はずれで鏑木の伯父や金子仲治郎さんなどとおそばを喰べ結いつけ草履で大石寺へ向つた時のことはよく覚えている。途中の川の水の中に入つて渡ることなどいろいろ聞かされていたがその時は丸木橋が掛けられてあつた。この丸木橋はその後大正年間までもその侭の姿が残つていた。最終行程の坂道にさしかかつた時にはうす暗くなつていたが少しも疲れず元気に先行し立停つて外の人の来るのを待つたりした。
 御大会については御影堂の夜の論議式の模様だけが不思議にもはつきり記憶に残りつていて三十何年か後日開上人の御導師の下に再拝観した時にはそれがつい昨日の出来事のように憶い出されるのであつた。
 当時の御法主は日応上人で一般に御前様(ごぜんさま)と申上げ日布上人が富士見庵に御隠居中であらせられた。帰りには妙光寺の講中は二手に分かれ私達は往路と同じ川沿の道を、他の一手は下の坊の傍から山腹を下る新道を通つたのであるが途中でハンカチを振つて合図し合つたのを覚えている。爾来六十三年、十二代法主の化に浴することになつたのである。上人様方について書遺し語り伝えたいことは数多くあるがそれは別冊に譲り茲にはお名前を拝記するに添えて一筆録するに止めることにする。
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by siawaseo_anatani | 2008-03-13 05:38 | 資料紹介