FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

創価学会VS日蓮正宗対立略年表02

昭和45年
・「国立戒壇」をめぐり、学会・宗門・妙信講のあいだで論争が惹起。学会と妙信講は互いに66世細井日達法主を取り合うが、日達法主は国立戒壇を放棄し学会の路線に近づく。

昭和48年
・大石寺正本堂建立一周年法要の際、池田会長が日達法主に対して「宗門から学会に対し十三億五千万円の寄付」をするよう怒鳴りつける。
・この年、池田会長は「日蓮直結」「本尊直結」「寺院軽視」を強調。

昭和49年
・北条浩副会長が「入信前の宗教、日蓮正宗」と手記に記述。
・宗門が妙信講に対して「解散処分」を宣告。また、妙信講に同調する僧侶二名に対しては擯斥処分に付す。
・日達法主、暗に池田会長及び学会を批判しはじめる。
・池田会長に対する報告書の中で北条副会長は「宗門はカトリック、学会はプロテスタント」などと正宗からの独立を射程にいれた和戦両面作戦を提言。

昭和50年
・宗門に無断で模刻した本尊を学会本部に掲げる。
・学会「師弟不二」「師への帰命」を強調しはじめる。

昭和51年
・学会本部総会で池田会長は「宗門の発展も学会があったればこそ」と発言。
・僧侶及び宗門に対する蔑視がさらに強くなる。

昭和52年
・僧侶を学会本部に呼びつけ吊るし上げを開始する。
・池田会長「本尊はどれも同じ」と発言。宗門は従で学会が主という、いわゆる「五十二年路線」活発化する。
・宗門若手僧侶たちが学会批判を開始、日達法主も「しっかり慎重にやれよ」と応援、いわゆる「正信覚醒運動」の開始。
・週刊誌が学会と宗門の対立を盛んに報道しはじめる。

昭和53年
・2月9日、大石寺において時事懇談会開催、学会問題を討議。
・2月12日、池田会長、辻武寿副会長、和泉覚副会長らと大石寺に参拝(いわゆる「お詫び登山」)。
・2月25日、関東・東海道合同本部長会で軌道修正を示唆。このころから大幹部に責任を転嫁する発言が多くなる。
・6月30日、『聖教新聞』に突然「教学上の基本問題について」と題する記事を掲載。先に宗門から提出された学会の教義逸脱・謗法の指摘質問状に対す回答であったが、質問項目の掲載がなく学会員には何を意味するのか理解できなかった。
・9月14日、学会教学部長原島崇、若手僧侶との話し合いで八体の本尊模刻を認める。
・9月28日、模刻本尊を大石寺宝蔵に収納。
・10月7日、大石寺において「創価学会創立四十八周年記念登山代表者会」開催。席上で辻副会長が、模刻本尊について言及。池田会長の「総講頭」として「お詫び」の発言に対して法華講が猛反発し「総講頭辞任勧告」を出す。

昭和54年
・4月22日、池田氏が会長及び総講頭を辞任、名誉会長、名誉総講頭となる。
・7月22日、日達法主死去。
・阿部信雄宗門教学部長が67世法主となり日顕と名乗る。日顕法主は学会を牽制しながらも正信覚醒運動にブレーキをかけはじめる。

昭和55年
・日顕法主及び宗務院は正信覚醒運動活動僧侶を批判、池田大作を礼讃。
・法華講連合会全役員が宗門に対して抗議の辞任。
・日顕法主が正信覚醒運動活動僧侶(いわゆる正信会)を大量処分しはじめ、約二百名の僧侶が宗門より擯斥される(現在も裁判継続中)。これによって第1次宗創紛争は終結し、以後、平成2年までは宗創連合軍対正信会という構図であった。

昭和59年
・1月2日、池田大作氏法華講総講頭に復帰。宗創蜜月ピーク。
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by siawaseo_anatani | 2008-04-28 03:52 | メモ