FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


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戸田城聖にとって「国立戒壇」とは何だったのか 02

(承前)
 1951(昭和26)年5月3日に、戸田は学会の第二代会長として復活しトップの座に着いたが、その就任式の席上で再び「国立戒壇」の必要性について次ぎのように述べている。
《天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書(みきょうしょ)を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊様を持たせることだ。こうすることによって、はじめて国立の戒壇ができるのである》
 この段階に於ける「国立戒壇」建立の条件は発言にあるように、「天皇」の帰依や「一日も早い「御教書」の下附(かふ)」にあるのではなく、「国中」の人間「みんな」を日蓮正宗に帰依・入信させるということにあったが、これはあくまでも「国立戒壇」建立に到る手続きであって、具体的な方法論は未だ明らかではなかった。

 その方法論が示されたのは1954(昭和29)年4月29日の“一支部一部隊結成式”であった。
 そこで戸田は、
《戦争で負けたということになって、広宣流布は、ずっと早くなってくる。必ずできる。
 軍隊という、おっかないものがありません。枢密院という、じゃまなものもありません。
 もう、こわいものは国会ひとつなんです。こうなると、御教書は出る。広宣流布にはもってこいの態勢が整っている》
と述べ、広宣流布を果たし国立戒壇を建立するには「御教書」を必要とするという考えを示した。
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by siawaseo_anatani | 2008-05-02 22:06 | メモ