創価学会の世代をグループにわけてみる。
在創第1世代
A、牧口時代に入った会員
B、戸田時代に入った会員とその子供
C、戸田氏死亡後、会長空席期間に入った会員
在創第2世代
D、池田会長就任後に入った会員
E、公明党結党後に入った会員および衆議院進出後に入った会員
F、言論出版妨害事件発覚後に入った会員
G、正本堂建立後に入った会員
在創第3世代
H、第1次宗創紛争世代
在創第4世代
I、池田復権後世代
J、第2次宗創紛争世代
K、本尊不確定世代
これらの各世代の子・孫などをみてみると、それぞれ在創1世から2世・3世、第1世代については既に在創5世くらいまで存在する。
在創第1世代と在創第2世代は、「常勝」という言葉で表現できる。
もっとも、在創第2世代のF期は、池田学会初の挫折経験をしているわけであるが、この経験から「仇討ち」「復讐」といった現学会の心性が始まったと考えられる。
在創第3世代は、池田学会2度目の挫折である。
しかも、このときは問題の経緯をほとんど知らされていなかった末端会員たちを除き、事情を知る幹部たちのほとんどが池田退陣に胸をなでおろしたはづである。
在創第4世代は、「センセー主義者」たちによる巻き返しにより始まった。
J期における日蓮正宗による創価学会破門は、挫折ではなく「因習からの解放」という逆転の発想により、在創第2世代以上の「池田無謬神話」の形成が推し進められることとなった。
その結果、秋谷・青木といった第1世代の古参幹部のほとんどが一掃され、名実ともに「池田門下」による「池田学会」の誕生をみることになったのである。
しかし、「池田門下」つまり「センセー主義者」たちによる学会掌握は、じつは「池田学会」の終わりの始まりであるともいえる。
在創第4世代、とくにJ期から急増した池田氏への多数の「名誉称号授与」の宣揚などによる「池田神話」の徹底は、極度の「祭り上げ」であり、外部からはほぼ完璧な「誉め殺し」のように見えるのである。
創価学会を掌握した「池田門下」たちは池田氏の実像を知悉しており、けっして「池田本仏論者」などではない。
「池田本仏論」的な考え方をしているのはJ期以降に学会に入った「センセー主義者」「池田ユーゲント」たちである。
創価学会を掌握した「池田門下」たちは、「ポスト池田」体制を想定したうえで、J期以降に学会に入った「センセー主義者」「池田ユーゲント」たちに対して、徹底して「師弟不二」を強調することにより、池田後継体制へのスムーズな移行を企図していると考えられるのである。