FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

カテゴリ:メモ( 34 )

「再掲 「みな友だちがはなれっちゃうんだよ」」
http://siawaseo.exblog.jp/19384380/

「8月1日の日記」
http://siawaseo.exblog.jp/19398181/

「佐野眞一氏、盗用で提訴される」
http://siawaseo.exblog.jp/19388242/

に関連して。

池田さんは1949(昭和24)年に21歳で大蔵商事に入社し1952(昭和27)年に24歳で取締役営業部長になり20万円の給料を取っていました。

大蔵商事社長だった和泉覚氏の給料は4万8千円だったといいます。

溝口敦氏によれば当時の大卒公務員の初任給は5千円以下。

現在の賃金の上昇率は約33倍、当時の20万円は現在では軽く650万円以上になる計算です。

大蔵商事で池田さんがこれだけの給料を取っていたのは歩合制だったからです。

なお、その当時の大蔵商事は町金融つまり金貸しが主な仕事でした。

池田さんはよく「若いころは貧乏だった」と書いたり述べたりしていますが、事実はまったく違うわけです。

20歳そこそこの青年がそれだけの収入を得たら考え方は変わって当たり前でしょう。

信じているものを絶対視してしまうというのは、学問の世界でも多少は似たような部分がありますが、学問の世界では必ず客観的な「批判」「検証」にさらされます。

宗教はそうした「批判」「検証」を「拒否」することで命脈を保つわけです。

距離感をわきまえていれば「宗教」にのめり込むようなこともないはづなんです。

じっさいそういうひとたちも少なくないです。

ただ、そういうひとたちはけっして「前に出よう」とはしません。

「前に出よう」とするのは距離感を見失っているからだと思います。
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by siawaseo_anatani | 2013-08-03 21:58 | メモ

8月1日の日記

8月1日にアップした日記、

「再掲 「みな友だちがはなれっちゃうんだよ」」
http://siawaseo.exblog.jp/19384380/

いろいろなご意見をいただきありがとうございます。

もうおわかりの方もいると思いますが、紹介した聖教新聞の発言者は、

池田大作さん

です。

当時はまだ「創価学会青年部参謀室長」と前年の1958(昭和33)年戸田城聖さんの死から2ヶ月後に新設した総務を兼任しているだけでした。

この発言の1年2ヶ月後に池田さんは創価学会の会長に就任しました。
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by siawaseo_anatani | 2013-08-03 00:48 | メモ
『小説 人間革命』というのは、創価学会の戸田城聖氏(故人)が書いた「宗教小説」の題名です。

初出は『聖教新聞』昭和26(1951)年4月20日の創刊号からの連載。
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後に、加筆訂正のうえ精文館から昭和32(1957)年7月3日に単行本として発刊されました。

この「人間革命」という題名については昭和23(1948)年に出版された、東大総長であった南原繁氏(故人)の同名の著作名から借りたものだと思い、このことは昭和48(1973)年に指摘しました。

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しかし、どうやらそうではなかった可能性が出てきました。

詳しいことはいづれ述べたいと思いますが、今回は「南原繁淵源説」を保留するという報告だけさせていただきます
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by siawaseo_anatani | 2013-06-17 12:08 | メモ
戸田城聖のレコードが、中国では5枚で66,000元前後で取り引きされている。

日本円だと約8万4千円、1枚あたり1万6千8百円。

なぜだ。

25枚そろえると、日本円で42万円。
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by siawaseo_anatani | 2012-10-22 15:08 | メモ

牧口常三郎と柳田國男

創価教育学会というのは、創価教育学という牧口常三郎独自の思想だけではなく、初期においては、

◎社会的側面では大日本皇道立教会の友好的別組織

◎個人的側面では、川面凡児の禊流の影響を強く活動方法に受け

◎信仰的には日蓮正宗の中でも異質な堅樹派の流れを汲み

◎教育方面では教育学というよりも社会学の影響が強い

そういう多面性を持っているわけです。

つまり、創価教育学会は設立当初から「総体革命」を目的とした団体だったともいえます。

ちなみに、このような立場の牧口常三郎と柳田國男が相容れるわけもありません。

なにしろ、柳田國男は必死に大政翼賛し御用学者になりたかったのになれなかった人物です。

だから柳田國男は折口信夫に嫉妬したわけです。

柳田國男の民俗学は、フォルクロアではなく文芸といっていい。

柳田國男は、悪人だけれど処世の勘が優れていた。

牧口常三郎は善意しかなかったが、処世の勘が鈍かった。

昭和15年以降の牧口常三郎は、総体革命から宗教革命に方針を転換したということでしょう。

ただし、それは純粋な日蓮正宗による宗教革命ではなかった、ということです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
菅田正昭さんから指摘があり
「神道禊教」

「川面凡児の禊流」
と訂正いたしました。

菅田さん、ご指摘いただきありがとうございます。
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by siawaseo_anatani | 2012-08-04 12:47 | メモ

師弟不二の出典

法華経にはもちろん全くありません

では、日蓮さんのいわゆる「御書」にはどうか。

学会版の御書だけではなく、他の本でも「師弟不二」という熟語はひとつもありません。

それに近いのは「能所不二」という言葉で、上野殿御返事(学会版P1556)に1ヵ所だけあります。

でもこの御書は身延山の法主だった行学院日朝が書いた写本しかありませんので、日蓮さんが書いたものかどうかもはっきりしていません。

つまり日蓮さんが亡くなってから200~300年たってから出てきた御書です。

それでは「師弟不二」の出典はどこか。

目についたのは、大石寺26世堅樹院日寛さんの書いたものでした。

日寛さんは、寛文5年8月7日(1665年9月15日)から享保11年8月19日(1726年9月14日)まで生きていました。

その日寛さんが享保6年(1721年)書いた「観心本尊抄文段」に、次のようにあります。

「一、経に云く我が如く等(ひとし)くして異なる事無し等文。

(中略)

 この釈成(しゃくじょう)の文また分(わか)ちて三と為(な)す。

初めに「我が如く等く」の下は自受用(じじゅゆう)に約して師弟不二(していふに)を示し、次に「宝塔品(ほうとうぼん)」の下は無作三身(むささんじん)に約して親子一体(しんしいったい)を示し、三に「寿量品(じゅりょうほん)」の下は久遠元初(くおんがんしょ)に約して君臣合体を示す云々。

 初めに自受用身に約して師弟不二を示すとは、謂(いわ)く「如我等無異(にょがとうむい)」の一句は自(おのずか)らこれ標(しるべ)の文なり。

(中略)

既(すで)に久遠元初の仏道に入る我等(われら)衆生(しゅじょう)の凡夫(ぼんぷ)の当体(とうたい)、全くこれ久遠元初の自受用身(じじゅゆうしん)なり。

自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり。

故に「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非(あら)ずや」というなり。

自受用はこれ師、我等はこれ弟子、既に「如我等無異」なり。

豈(あにか)師弟不二に非ずや。」

つまり「師弟不二」という言葉は、日蓮さんとは直接の関係はなく、日蓮さんが亡くなって約450年もたってから言われた言葉のようです。

「師弟相違せば なに事も成すべからず」学会版御書全集P900

華果成就御書の一節です。

ただ、この御書も日蓮さんの真筆がありません。

これもやはり身延山の法主だった行学院日朝が書いた写本しかありませんので、日蓮さんが書いたものかどうかもはっきりしていません。

つまり日蓮さんが亡くなってから200~300年たってから出てきた御書です。

日朝さんがこの写本を書いて他に見せるまで、華果成就御書は誰も知らない文書だったのです。

また、ここに書かれている師匠とは道善房のことですね。

道善房は亡くなるまで法華経には帰依しなかった人です。

つまり、日蓮さんは師匠に背いたわけですから、「師弟不二」ではなかったことになってしまうのです。

「福運」という言葉も御書には1つもありません。

日興さん以下江戸時代までの歴代法主の文書にもありません。

あ、もちろん法華経にもないです

つまり学会用語でしかありませんですね。

「師弟不二」も「福運」も、学会の「信心」には関係があっても日蓮さんや法華経の信心には全く関係ないということになります。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-31 01:49 | メモ
池田大作氏への各種名誉称号授賞国・団体・機関などをながめてみると見えてくるものがある。

それらの多くは池田氏が創価学会会長を辞任し「名誉会長」となってからのものである。

創価学会が「名誉会長」という「称号」を作ったのは池田大作氏が同会会長を辞任したとき。

「会長を退いたものを名誉会長とする」

その後、規則・規約などを変更しそれを廃止。

現在では、
「総務会の議決に基づき、名誉会長を置くことができる」
とされている。

これ以外に「名誉会長」については具体的な記述はまったくない。

第5代会長秋谷栄之助氏は会長退任後「名誉会長」にはなれなかった。

いま創価学会では池田大作氏を「名誉会長」とは呼ばず「SGI会長」と呼ぶ。

SGIは創価学会規則にも規約にも具体的な記載はなされていない。

会則では「補則」に、
「この会は、この会と教義、目的を共通にする世界各国の団体からなる国際的機構として、創価学会インタナショナルを設置する。 」
とあるだけである。

SGIは「任意団体」でもなくたんに創価学会の「一部所」でしかない。

宗教法人法にもとづく「宗教法人創価学会規則」には、「名誉会長」「SGI会長」についての記述はいっさいない。

このような曖昧かつ不透明な立場のものが、会長や代表役員である理事長以上の影響力をもっているのである。

それは創価学会および海外の組織における絶対的な「権威」であり「権力」でもある。

日本国内の会員数は827万世帯。

SGIについては
「世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁する」
という。

池田大作氏は、この「数」を背景に海外との関係を構築してきたといえる。

その結果として2012年6月13日現在での各種「名誉博士」「名誉教授」などの称号は330を数える。

これらの称号については、創価学会のホームページではなく創価大学のホームページに記載されている。

注意すべきは、これらの称号の多くがたんに「名誉博士」「名誉教授」とあるだけで、どのような「学術分野」での「名誉称号」か明らかではないということである。

たとえば日本国内の場合では一般的に「東大名誉教授」などと記されても正式には「東大文学部名誉教授」などと学部が特定されるものである。

もちろんそれは「名誉博士」についても同様である。

ところが池田大作氏に与えられた「名誉称号」の半数以上がそれを特定できない。

つまり「名誉称号」は多いが「名誉学術称号」は多くはないということである。

330あるこれらの「名誉称号」だが、授与した大学についてよく調べてみるとおもしろいかもしれない。

キーポイントは「産学共同体」である。

これが、冒頭に記したことへのひとつの答えである。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-14 03:13 | メモ
 牧口さんの思想はおそらく亡くなるまで「人生地理学」をもって原点とし基本としていたように思います。

 その思想を「どのように実社会において有効たらしめるか」というところから彼の宗教遍歴と運動の変遷があったと考えるべきでしょう。

 戸田さんは、その牧口さんのある部分を継承したとはいえるでしょう。

 牧口さんの「人生地理学」における思想的到達点とは、ある意味では「発見」であり「卓見」であり「創造」でもありました。

 それをそのまま篋底にしまい込んでいればそれは「個人」に属するものでしかありません。

 修行とか達観というのもきわめて「個人」に属するものなのです。

 また「思想そのもの」も同様です。

 それらと実社会の間にはなんら直截的つながり、脈絡といってもいいですし関連といってもいいですが、それはありません。

 その「個人」がそれらを意志的に社会に機能させようとして、はじめてなんらかの「意味」をもつということです。

 牧口さんの場合は「d0153496_16225246.jpg人生地理学」の出版を考えたことで「意味」が生じ、出版したことで「社会性」を持つこととなったわけです。

 その「個人レベル」での「意味」というものを「存在意義」ととらえるか、それとも他のなんらかのものとしてとらえるのか、それはある種の「カテゴライズ」であり「価値判断」に属することになります。

「宗教」とはまさに「カテゴライズ」であり「価値判断」による囲い込みであるわけです。

 さらにその強度を人為的に支配するのが「教団」ということになります。

 つまり
○個人における「思想」「信仰」「修行」「達観」などというものは「社会性」とは直截には関係がない。
○それらが「宗教的共同体」として成立することによって社会と関わることになるが、ここで「個」と「社会」との葛藤が生じる。
○その葛藤を宗教的共同体の中において合理化することで「教団」が発生する。

 大ざっぱにはこのような段階があると思います。
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by siawaseo_anatani | 2012-04-30 16:23 | メモ

「古島一雄」

創価学会問題を理解するためのキーワード

「古島一雄」
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池田大作の小説『人間革命』や石井いさみの『劇画人間革命』では悪人のように書かれているが、ジャーナリスト出身であり、衆議院議員、貴族院議員でした。

金銭には潔癖で通し」たと、政財界マスコミでの人物評は高い。

1865年(慶応元年)8/1~1952年(昭和27年)5/26、享年86歳。

葬儀委員長、吉田茂は次のように述べた。

「翁(古島)の一生は清貧と剛直の記録で、常に若々しい政治感覚をもって、憲政の確立に努めた」

読売新聞夕刊(1952年5/27)は、

古島翁は一生を通じて中国問題に尽力し、その方面のかくれた功績も忘れることは出来ない、この翁今やなし」

と記している。

古島については、

「犬養毅の参謀、影武者、黒衣」(中村 義・東京学芸大学名誉教授)

という見方もあるが、その言動は「誠心誠意」「清貧」の人物であった。

長野において教育者たちの育成に携わっていたときには、憲兵隊に召喚されてもいる。(1937年7月)

この時代の長野の教師の1人は、またキーワードとなる人物でもある。

戸田城聖の恩人といって過言ではない。
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by siawaseo_anatani | 2012-04-21 01:15 | メモ

師匠と弟子

お稽古ごとの場合、直接教えてくれるのが師匠です。

師匠の師匠とか家元を師匠とは言いません。

役座さんの場合は、親分。

親分の親分は大親分ですが、大親分と子分に親子盃はありませんが子分は大親分と呼びます。

つまり、直接に親しくやり取りを行なって教えを授受するのが「師弟」です。

これは学問の世界でも当たり前のことです。

いや、スポーツや囲碁や将棋、芸術や工芸、手仕事の世界、世間のあらゆる場において、面識の無い師弟関係など成立しません

直接教えを受けていないのに
「師匠」
と言ってしまう創価学会
のことばは、外部には違和感しかもたらさないのではないでしょうか。

つまり、ここでも「先生」と「師匠」を混同しているように思えます。

「師匠だと思っている」は
「師匠である」は×

「弟子のつもりでいる」は
「弟子である」は×

学会員と非学会員では同じことばでも意味が違うケースが多々あります。

あと、学会員が学会員ではないひとに向かって
「●●先生は」
などと言ったり、グリーなどのコミュで書いたりしていますが、これも世間では恥ずかしいことですね。

社会人であれば、社員研修で、社内の上司などについて社外の人に伝えるときの言い方を徹底して教育されます。

「うちの○○社長は」
などと言ったら、いい恥さらしで、社の対外的評判を落とすことはまちがいありません。

それが創価学会ではなされていないようです。

つまり、それだけ社会性を無意識にでも等閑視してしまっている、ということでしょう。

まぁ、私としては、

非常識な創価学会員がいる
非常識な創価学会幹部がいる
非常識な創価学会大幹部がいる


というていどに止めておきたいです。

教団じたいは人間がつくっているのですから、その中にいるひとたちが良識と常識を持っていれば教団もよくなるはづ。

まぁ、それに逆行している感じはとても強いですが。

弟子を自称しているヒトの言動を見れば、たいていは「師」とやらについても推測することが可能ですね。
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by siawaseo_anatani | 2012-04-19 01:52 | メモ