FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

カテゴリ:メモ( 34 )

あの、山●●友サンが

29日夕方、自宅で倒れ亡くなったとのこと。

享年72歳。

長年にわたっての創価学会批判を評価する人たちもいるようだが、私の見方は全く異なる。

彼とそのお仲間たちの「創価学会批判」のおかげで、創価学会に対するまともな研究や批判が壊滅状態に陥ったと、私は思っている。

彼らは生活のために「創価学会批判」という名目の営業活動を続けていただけである。

山●●友サンたちのおかげで、創価学会批判は30年は遅れたと思う。

だから冥福は祈る気にはならない。

幸いなことにようやくここ数年は島田裕巳さんがまともな「創価学会論」を書いているので、マスコミやジャーナリズムも多少は風向きが変わり始めたような気もする。
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by siawaseo_anatani | 2008-12-31 03:31 | メモ

コミュのルールのお手本

ウェブサイトで日蓮正宗信仰圏に関する最も良心的で、かつ影響力のある議論掲示板である

「富士門流信徒の掲示板」
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/#7

の、書き込みルールは、「議論系」の良いお手本になると思います。

以下に、その抜粋を紹介させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
【書き込みの基本原則】

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。  
①差し支えない限り、自己紹介スレッドで自己紹介をしてください。また、相手に対する敬称は『〇〇さん』で統一して戴きたいと存じます。
②感情的表現を避け、できるだけ冷静に話し合ってください。 
③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。

【禁止事項】

1 上記の、当掲示板の主旨に明らかに反する書き込みは、理由の如何を問わず削除します。さらに書き込みを続けられた場合は、その方を以後投稿禁止とします。

2 「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、 管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を 続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

3 他人の個人情報(実名、住所、年齢、電話 番号、メールアドレス、家族構成、勤務先情報、等)を、掲示板で公開してはならない(ペンネーム、ハンドルネームと実名を特定させるような書き込みを含み ます)。但し、以下の一から五については、この限りではないが、これらの個人情報の公開に当たっては、充分個人の人権に配慮し、節度を持って行うこと。

一、紙名、年月日を明記した上で、個人情報が含まれる新聞記事を転載すること。
二、情報源を明記した上での、公人認定されている方の個人情報を紹介すること。
三、情報源を明記した上での、公人に準ずる人(会の代表者幹部など)の個人情報を紹介すること。
四、故人であって、歴史上の人物として定着している人の、個人情報を紹介すること。
五、本人の依頼による場合。

4  無意味な多重投稿・反復投稿を禁止します。同じ文章の連続投稿、或いは、文章は同一でなくとも内容的に同じことを繰り返し投稿された場合は削除致しま す。なお、根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けられた場合は、無意味な多重投稿・反復投稿とみなし、 削除致します。

5 特定教団の教えの布教を目的として当掲示板を利用することを禁止します。特定教団の教えの布教を目的とした書き込 みがなされた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、 特定教団の教えの布教を目的としした書き込みを続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

6 投稿した文書が、他所からの引用文であることが明らかであり、かつ本文がなく、引用文のみで、かつ引用元を示さない投稿は著作権を侵害している恐れがありますから、そのレスを削除させていただきます。

当掲示板に投稿される方は、何人にも拘らず、必ず、この書き込みのルールを御守ください。

なお、投稿に当っては、話し合いを重んずるという、当掲示板の基本方針をご理解戴き、一般の方が読んでも難解でない様な、できるだけ平易な文章を心掛けて戴けると幸いに存じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「富士門流信徒の掲示板」は、2001年の1月に開設されてから、すでに51万4000以上のアクセスがある。

ほとんどの書き込みが、真面目にルールを遵守し、真剣に議論をおこなっている。

たまに、創価学会・日蓮正宗・顕正会などの、盲信的ガチやバリが書き込むと、それぞれ立場や考え方の異なる参加者から一斉にクレームや疑問・質問が浴びせられて、あっという間に遁走することになる。

もちろん、悪口だけを言いたいものも、同様に駆逐される羽目に陥る。

これは、さまざまな問題に対して、参加している人たちが、真剣に考え、それぞれが問題を解決しようと務めていることの表われだと思う。

創価学会問題についても、そろそろ建設的な批判が必要な時期にきているのではないだろうか。

私は、孫たちの世代にまで、この問題を長引かせたいとは思わない。

そのためには、悪口・中傷・罵倒などはもちろんのこと、根拠の無い風説・デマ・ガセネタの繰り返しは止めるべきだと思うのだ。

少しづつでもいいから、そのように考える人が増えてくれればと、心から願っている。
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by siawaseo_anatani | 2008-10-18 10:57 | メモ
グリーの「ったく書庫」に

<「戒壇板本尊」関連資料>
のコーナーを作り、資料をアップしました。

<「小樽問答」全記録>
の12をアップしました。


ミクシィの「ミったく書庫」に

「創価学会関連書棚」
「顕正会関連略年表」
のコーナーを作り、記事をアップしました。
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by siawaseo_anatani | 2008-10-12 04:39 | メモ
日蓮仏法、便利なタームですよね。
でも、通用するのは、日蓮正宗系教団の中だけでしかありません。

創価学会や日蓮正宗や顕正会などの人たちが使う「日蓮仏法」というタームは、それぞれの教団の解釈が付加された、いわば「宗学」のようなものです。

日蓮さんの主張した教えと、けっしてイコールではありません。

だいたいにして、日蓮正宗系教団の悪癖は、真偽未決の「御書」はおろか「偽書」をも「文証」などと称して使用することでしょう。

本当に日蓮さんの教えを布教したいのであれば、真偽のあやふやなものなど使おうなどとは考えないでしょう。
それでも使うのは、自分たちに都合がいいから使っているわけです。

勤行にしても、日蓮さんや日興さんが読誦していた方便品の長行は読まない、さらには寿量品の長行も読まないなど、宗祖とか派祖の行儀すら棄てています。

そんな人たちが「日蓮仏法」と仰有っても説得力は皆無です。

ちなみに、厳密には「文証」とは経文だけで、釈・疏を傍証とします。
日蓮さんの「御書」を引用することは、「文証」にはなりません。
日蓮さんの正依の経典は、法華と涅槃の二経であり、基本的にはそれと照らし合わせることを「文証」と言います。
もちろん、他の経典の引用も「文証」ですが、それは法華経の傍証としての「文証」ということになります。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-25 03:13 | メモ
 「教学」という用語は「教義学=宗旨学」と「教団史学=宗史学」の二つの意味を含んだものとして考える。

 ふつう「宗学」という用語は「宗派教義学=宗旨学」と「宗派史学=宗史学」の二つの意味を含んだものとして用いられている。

 このことを前提としたうえで、以下のように定義しておきたい。

 1 日蓮教学=真筆現存及び曽存と直弟写本による教えとその研究

 2 日興上人の教え=同右

 3 興門教学=従来、富士教学とも呼ばれてきたが、石山(大石寺)と重須談所(北山本門寺)を中心とした、日興上人及び日興上人の直弟子によるもの

 4 富士宗学=日興門下八本山各派いわゆる富士門流系の教学の総称

 5 石山教学=大石寺教学とも称されてきたもので、他門においては「日有・日寛によって形成・体系化されたところの大石寺の教学」という意味合いで使用されることが多いが、おおまかには日目以降こんにちに至る大石寺歴代貫首(法主)の著述を中心としたもので、正確には「石山宗学」と呼ぶべきもの

 6 日蓮正宗教学=正しくは「日蓮正宗宗学」というべき。広義には「日興を門祖としてこんにちに至る大石寺門流の教義」の意味で、「石山教学」とほぼ同義であるが、狭義には「宗教法人日蓮正宗の教義」を指す

 7 日蓮宗学=広義には「日蓮門下教団全般の教学」の意味であるが、狭義には「宗教法人日蓮宗の教学」を指す。

 8 祖書学=日蓮遺文(御書)に関する文献学及び古文書学、国語学、書誌学的研究

 よく言われる「日蓮正宗教学」なるものは、日蓮教学と宗学を混同したものであると考え、呼称としては不適切であると思われるので、使用しないにこしたことはない。

 その他に、日興上人の弟子である日尊の門流における教学を一般的には
  要法寺教学
という。
 同じく、日興上人の弟子、日郷の門流における教学を一般的には
  保田教学または妙本寺教学
という。
 またこれらの他に、
  京都要法寺の広蔵院日辰の「日辰教学」、
  石山の堅樹院日寛の「日寛教学」
との呼称もあり一般的に使用されている。

 「石山教学」と「日蓮正宗教学」は前述したようにほぼ同義であるが、正しくは「宗学」というべきものである。
 日蓮正宗では、伝日蓮・伝日興などのいわゆる「相伝書」類など写本だけで真筆のない文書を重視かつ依拠する。

 しかもそれらのほとんどは大石寺独自の文書ではなく、
  重須(北山)本門寺
  保田妙本寺(保田、房山とも)
  京都要法寺(要山)
  西山本門寺(西山)
  下条妙蓮寺(下条)
などに伝わる写本などで、興門他山より流入した文献である。

 現在の日蓮正宗(石山)ではこれら他門流由来の文書を、自門の正統性を主張するために、あたかも自山伝承の文書であるかのようにして利用しているわけである。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-04 14:02 | メモ
(承前)

 民主主義という虚構論理を無批判・無条件に受け容れるならば、現在の創価学会の戒壇論の方が一般の拒絶反応は少なくなるだろう。

 しかし、それは顕正会が主張するように近代日蓮正宗の教義とは全く異質のものであることも事実ではないのか。

 詳しくは別の機会に述べるが言葉の真の意味で正宗に権威があれば、今日のような混乱は起きようはずもなかったのではないか。

 正宗教義の根本とされる三大秘法(題目・本尊・戒壇)のひとつである「本門戒壇」の意味・定義を仮に変更するのであれば、宗内で論議を尽くすべきだったが、それは主として創価学会と妙信講(現・顕正会)の間で行なわれ、宗門は成り行きをながめていただけで、しかも、いったんは妙信講に理があるとしたにもかかわらず、宗門は学会側の主張を追認し妙信講を解散処分に付してしまった。

 国立戒壇を否定してから言い訳的に論文を発表したところで、それは“大本営発表”である。「戒壇論」という重要教義について宗内で論議し決定することをせずに、信徒団体どうしに対論させ、なおかつ裁定を覆すという無定見の愚挙を犯すことによって、日蓮正宗は自ら権威を喪失してしまったのである。

 権威とは振り回すものではなく、周囲がそれと認めるものである。今からはもう後戻りはできないだろうが、教義教学を根本から見つめ直さない限り、日蓮正宗が1個の宗教として社会から認知・評価されることは極めて困難であると思われる。

 これまでの日蓮正宗は、「印籠教学」で来てしまった。
 それも、印籠の中身は、偽薬であったり、他所から勝手に持ち込んだ書き物ばかり。
 「良いとこ取り」のコンビニエンス仏教が「宗教法人日蓮正宗」なのである。

 罰論という恐怖信仰は信徒には有効であるかもしれないが、けっして世間一般の人たちを騙せるものではない。
 「伝統的」といわれる仏教宗派の中で、これほど露骨なカルト的教団は、他にはないであろう。 (おわり)
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by siawaseo_anatani | 2008-06-02 17:17 | メモ
創価学会の世代をグループにわけてみる。

在創第1世代
 A、牧口時代に入った会員
 B、戸田時代に入った会員とその子供
 C、戸田氏死亡後、会長空席期間に入った会員

在創第2世代
 D、池田会長就任後に入った会員
 E、公明党結党後に入った会員および衆議院進出後に入った会員
 F、言論出版妨害事件発覚後に入った会員
 G、正本堂建立後に入った会員

在創第3世代
 H、第1次宗創紛争世代

在創第4世代
 I、池田復権後世代
 J、第2次宗創紛争世代
 K、本尊不確定世代

これらの各世代の子・孫などをみてみると、それぞれ在創1世から2世・3世、第1世代については既に在創5世くらいまで存在する。

在創第1世代と在創第2世代は、「常勝」という言葉で表現できる。
もっとも、在創第2世代のF期は、池田学会初の挫折経験をしているわけであるが、この経験から「仇討ち」「復讐」といった現学会の心性が始まったと考えられる。

在創第3世代は、池田学会2度目の挫折である。
しかも、このときは問題の経緯をほとんど知らされていなかった末端会員たちを除き、事情を知る幹部たちのほとんどが池田退陣に胸をなでおろしたはづである。

在創第4世代は、「センセー主義者」たちによる巻き返しにより始まった。
J期における日蓮正宗による創価学会破門は、挫折ではなく「因習からの解放」という逆転の発想により、在創第2世代以上の「池田無謬神話」の形成が推し進められることとなった。
その結果、秋谷・青木といった第1世代の古参幹部のほとんどが一掃され、名実ともに「池田門下」による「池田学会」の誕生をみることになったのである。

しかし、「池田門下」つまり「センセー主義者」たちによる学会掌握は、じつは「池田学会」の終わりの始まりであるともいえる。
在創第4世代、とくにJ期から急増した池田氏への多数の「名誉称号授与」の宣揚などによる「池田神話」の徹底は、極度の「祭り上げ」であり、外部からはほぼ完璧な「誉め殺し」のように見えるのである。

創価学会を掌握した「池田門下」たちは池田氏の実像を知悉しており、けっして「池田本仏論者」などではない。
「池田本仏論」的な考え方をしているのはJ期以降に学会に入った「センセー主義者」「池田ユーゲント」たちである。

創価学会を掌握した「池田門下」たちは、「ポスト池田」体制を想定したうえで、J期以降に学会に入った「センセー主義者」「池田ユーゲント」たちに対して、徹底して「師弟不二」を強調することにより、池田後継体制へのスムーズな移行を企図していると考えられるのである。
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by siawaseo_anatani | 2008-05-23 03:06 | メモ
今回は、指摘のみ。

A、牧口時代に入った会員
   ほとんどいませんが、まだわずかながらおられるようです。
B、戸田時代に入った会員とその子供
   戸田時代に入った会員も、いまでは壮年部に多少いるだけでしょうが、この人たちはそれなりの苦労もしており、現体制に対しては懐疑的なようす。
C、戸田氏死亡後、会長空席期間に入った会員
   Bとほぼ同様ですが、戸田門下でも池田門下でもないので、組織内ではあまりめだたなかった人が多いようです。
D、池田会長就任後に入った会員
   厳密に池田門下というのはここから始まります。
E、公明党結党後に入った会員および衆議院進出後に入った会員
   この段階では創価学会は「国立戒壇」を放棄しており、おりからの学生運動にも進出。この頃の学生部経験者が現体制の実務を掌握している。
F、言論出版妨害事件発覚後に入った会員
   内部のイベント中心の活動期だったために比較的おとなしいひとたちが置くみうけられる。
G、正本堂建立後に入った会員
   外部に向けての活動つまり折伏が再開された時期であり、同時に日蓮正宗を軽視する傾向が出始めたころでもある。妙信講(顕正会)問題が知られるようになり、教学に強い人たちが多い。また、創共協定問題で政治問題について勉強した人たちも少なくない。
H、第1次宗創紛争世代
   期間は短いが、池田色が薄かった分、良識的な会員が多い。
I、池田復権後世代
   宗創紛争を直接には知らないために、「センセー絶対」の会員が出始めた。
J、第2次宗創紛争世代
   日蓮正宗を敵視しているものの教学的にはまったく中途半端な立場にいることが理解できていない会員が多い。また、政治的には公明党に不満はあるものの「センセーを守るため」に必死でF取りをする。「センセー主義者」(笑)が現在の主流となっている。

グラデーションを描くように徐々に変化変質しているが、各世代間の意識のギャップは外部で考えている以上に大きいものがある。
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by siawaseo_anatani | 2008-05-21 17:43 | メモ
(承前)
 1951(昭和26)年5月3日に、戸田は学会の第二代会長として復活しトップの座に着いたが、その就任式の席上で再び「国立戒壇」の必要性について次ぎのように述べている。
《天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書(みきょうしょ)を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊様を持たせることだ。こうすることによって、はじめて国立の戒壇ができるのである》
 この段階に於ける「国立戒壇」建立の条件は発言にあるように、「天皇」の帰依や「一日も早い「御教書」の下附(かふ)」にあるのではなく、「国中」の人間「みんな」を日蓮正宗に帰依・入信させるということにあったが、これはあくまでも「国立戒壇」建立に到る手続きであって、具体的な方法論は未だ明らかではなかった。

 その方法論が示されたのは1954(昭和29)年4月29日の“一支部一部隊結成式”であった。
 そこで戸田は、
《戦争で負けたということになって、広宣流布は、ずっと早くなってくる。必ずできる。
 軍隊という、おっかないものがありません。枢密院という、じゃまなものもありません。
 もう、こわいものは国会ひとつなんです。こうなると、御教書は出る。広宣流布にはもってこいの態勢が整っている》
と述べ、広宣流布を果たし国立戒壇を建立するには「御教書」を必要とするという考えを示した。
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by siawaseo_anatani | 2008-05-02 22:06 | メモ
 創価学会が「国立戒壇」の建立をその最大の目標とし始めたのは1950(昭和25)年である。
 それまでは抽象的表現として「広宣流布」を唱えていたに過ぎず、この時から具体的に「国立による本門戒壇」建立を目指した宗教活動=折伏が活発化し始めたのである。
 1950(昭和25)年11月12日、第5回本部総会の席上で戸田城聖は学会トップの座=理事長職を辞任した。
 後任には彼のライバルでもあった矢島周平(のちに出家し、日蓮正宗僧侶となった故・矢島秀覚)を推し、戸田自身は、
《第二代の会長、第三代の理事長を推薦、推戴、学会の前途を、あくまでも見守って》
いくとして、自らは第一線での活動から身を引くが如く語った。そして、その直後の発言において、
《広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。(中略)しかし、国立の戒壇は、まだ建立せられず、現在にいたっております。それこそ、末代にのこされた仏勅といわなくて、なんでありましょう》
と「国立戒壇」について初めて言及したのである。
 これを契機として学会員の間には急速に「王仏冥合」「国立戒壇建立」の思想が浸透して行った。 (つづく)
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by siawaseo_anatani | 2008-05-02 04:44 | メモ