FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

カテゴリ:顕正会(妙信講)( 4 )

早ければ7月中に第1弾がありそうです。

8月の中旬以降にも、別のサプライズが決定しているようです。

8月上旬あたりにもうひとつ考えてみようかと思っています。
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by siawaseo_anatani | 2009-07-07 11:17 | 顕正会(妙信講)
櫻川忠氏の『迷走する顕正会を斬る』(日新報道)が企画から約1年、ようやく発売。d0153496_3385770.jpg

なんと342ページ。
しかも活字を小さめにしてです。
これでも400字詰め原稿用紙数百枚分を削ったとのこと。
今後は本書を抜きにして顕正会については語れないでしょう。
つまり必読の基本文献ということです。

また本書じたいは顕正会について書かれたものですが、新宗教とかいわゆるカルト全般に関心のある人にはオススメの本です。

当然★★★★★です。

ただし、それは本の「内容」について。

2013年現在の櫻川氏については、

「「注意を喚起」犀角独歩さんのブログに驚くような記事がアップされました」
http://siawaseo.exblog.jp/19482507/

を参照してください。

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創価学会とともに、その過激な活動が社会問題とされてきた顕正会。
その実態は、今まで厚いベールに包まれて、語られてこなかった。
この組織を率いてきた浅井昭衛氏とは、どんな人物か。元幹部による赤裸々な証言が、いま、この秘密の組織の実態に迫る。

池田創価学会とどこが違うのか。
会員をマインドコントロールし、私兵化している、浅井会長はこの日本をどうしようとするのか、元幹部がその正体を明かす。
(「BOOK」データベースより)

目次
はじめに
第一章 浅井会長率いる顕正会とは
一、顕正会の自画像
二、外部から見た顕正会
三、強引な勧誘活動
四、現役会員の悲鳴
第二章 顕正会の源流
一、父・浅井甚兵衛
二、法統相続
三、法道会時代
四、妙信講再建
第三章 雌伏の時
一、試練と忍従
二、正本堂問題
三、在野の諌暁団体
第四章 風雲、急を告げて
一、宗務御当局に糾し訴う
二、池田会長に糾し訴う
三、正本堂の意義
第五章 死地への一本道
一、「捨て身」の戦術ミス
二、講中解散と信徒除名
三、妙信講壊滅の罠
第六章 妥協と迷走
一、請願書提出
二、法廷闘争和解
三、宗門への訴状と冊子の大量配布
第七章 浅井会長はどのように道を違えたか
一、組織の私物化と弱体化
二、独立教団路線
三、浅井会長はどう誤ったか
第八章 浅井会長の特異思想
一、戸田路線の後継者
二、顕正会の共同幻想
三、破局到来の予見
四、マインドコントロール
五、会員拡大至上路線
第九章 浅井会長の不誠実
一、御遺命守護完結の偽り
二、教学研鑽の放棄
三、本尊偽装疑惑
四、顕正会の行く末
あとがき
参考文献
顕正会年表


【著者】 櫻川忠(さくらがわ・ただし)
昭和26年、東京に生まれる。
東京理科大学理学部卒業。コンピュータのシステム技術者を経て、現在は著述業。
昭和41年に日蓮正宗に入信、法華講支部妙信講に所属する。妙信講男子部の一員として、御遺命守護に連なる。
著書:「本門戒壇の本義—日蓮大聖人の御遺命とはなにか—」発行・パレード、発売・星雲社(平成17年11月)
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by siawaseo_anatani | 2009-07-05 03:41 | 顕正会(妙信講)
 昭和二十三年、浅井甚兵衛氏は妙光寺僧俗との軋轢から、池袋の法道院(早瀬道応住職)に所属を移し、昭和三十一年六月、「東京妙信講」を法道院法華講の中に発展解消させ、甚兵衞氏が講頭に就任、昭衞氏は青年部長になりました。
 翌昭和三十二年八月には「妙信講」を再組織し本部を文京区音羽にあった甚兵衛氏の自宅に置きました。
 このときすでに早瀬住職や法道院法華講と対立していたといわれています。
 昭和三十三年一月、大石寺六十五世堀米日淳法主から「法華講支部妙信講」として認証され、東京・本所吾妻橋の妙縁寺(松本諦雄=日仁住職)に三度目の所属変更をしています。
 顕正会は日淳法主から直接に認証され「妙信講はたたかう法華講になれ」といわれたといいますが、このときの妙信講は創価学会のような独立した組織ではなく、妙縁寺の中の一講中としての認証でした。
 昭和三十七年九月、日蓮正宗法華講全国連合会が結成されましたが、他の法華講と対立していた妙信講はこれに加入しませんでした。呼称もこのころから「日蓮正宗妙信講」と自称しはじめたようです。
 創価学会が「国立戒壇」を放棄し、日蓮正宗が「国立戒壇という言い方をやめる」と決定し大石寺の正本堂が「現時における戒壇」だと言い始めると、妙信講は「日蓮大聖人のご遺命破壊だ」と主張しだしましたが、正本堂建立のためのご供養金には妙信講も参加していました。
 昭和四十八年十二月、妙信講は妙縁寺所属のまま、浅井氏の自宅近く、東京板橋の常盤台に「本部会館」を建設し在家教団化への第一歩を踏み出しました。
 昭和五十年八月に妙信講は講中解散処分をされ、このとき妙縁寺の松本住職と日蓮正宗の老僧八木直道師が妙信講を支持したために日蓮正宗から擯斥処分されています。
 その後、埼玉県和光市に「顕正寺」建設しましたが、この「顕正寺」を名称変更・住所移転したものが「宗教法人 日蓮正宗顕正会」です。
 顕正会は「国立戒壇を主張したから解散処分をうけた」といいますが、甚兵衛氏は妙信講時代から、所属寺院の住職や檀信徒たちとの対立をくりかえし、何度も所属寺院をかえています。
 ほかの信徒らと協調することができない、僧侶が気に入らなければ他所の寺院に移る、という唯我独尊的な行動をとっていたわけです。
 また、甚兵衛氏は亡くなる前に昭衞氏に妙信講の講頭を世襲しており、これは新宗教一般によくみられる事例です。
 さらに、甚兵衛氏が亡くなると前述のように「日蓮正宗妙信講」から「日蓮正宗顕正会」と改称し、現在は「冨士大石寺顕正会」と自称しているわけですが、日蓮正宗は、寺院や僧侶を軽視する顕正会や創価学会は異流義・異端とみなして、信徒とは認めていません。
 顕正会も創価学会も、独自に勤行の方法を定め葬儀や行事を行なっていますから「日蓮正宗系の在家教団」「日蓮正宗系の新宗教」といえるでしょう。
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by siawaseo_anatani | 2008-04-25 02:30 | 顕正会(妙信講)
 顕正会は現在、文部大臣認証の宗教法人で正式名称は「宗教法人顕正会」といいます。
 「日蓮正宗顕正会」とか「冨士大石寺顕正会」というのは自称で、顕正会となのる前は「妙信講」という、日蓮正宗妙縁寺(東京吾妻橋)所属の一法華講でした。
 妙信講の初代講頭は浅井甚兵衛氏(故人)で、顕正会の現会長浅井昭衞氏の父親です。
 甚兵衛氏は大正十五年十二月に品川の日蓮正宗妙光寺信徒になりました。当時の住職は第二代有元廣賀(日仁)師です。
 妙光寺の初代住職は冨士本智境(日奘)師で、大石寺の異端派とされている堅樹派完器講の僧でしたが、先輩の佐野広謙尼とともに大石寺に帰伏しました。
 甚兵衛氏が入信した当時の有元師は、大石寺土屋日柱法主に対する正宗僧侶のクーデターに積極的に参加し、後には法主選挙にも立候補したり、とても精力的な僧侶であったといえます。
 昭和になってからは国策推進運動にも積極的に取り組み「国旗祭」の制定を主張するなど、当時の日蓮正宗にあっては或る意味社会性の或る僧侶でした。
 現在の顕正会会長が一見すると右翼チックにみえるのは、多感な少年時代に有元師の言動に接していた影響もあるのかもしれません。
 弟分には、これまた或る意味社会性を持っていた僧侶で「神本仏迹論」を主張した小笠原慈聞師がいました。
 有元師は昭和十一年に亡くなりましたが、昭和十六年八月、第三代住職秋山日満師(戦後に大石寺法主)の時に、甚兵衛氏は妙光寺所属の妙信講を作り、翌十七年四月に大石寺鈴木日恭法主から妙光寺所属の「東京妙信講」の名称で法華講として認証されました。
 秋山住職は妙光寺総代になった甚兵衛氏ら檀信徒の反発にあい昭和十七年八月に住職を辞任しました。
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by siawaseo_anatani | 2008-04-24 13:23 | 顕正会(妙信講)