FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


by FBI(笑)Oh My Buddaha !

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日蓮仏法、便利なタームですよね。
でも、通用するのは、日蓮正宗系教団の中だけでしかありません。

創価学会や日蓮正宗や顕正会などの人たちが使う「日蓮仏法」というタームは、それぞれの教団の解釈が付加された、いわば「宗学」のようなものです。

日蓮さんの主張した教えと、けっしてイコールではありません。

だいたいにして、日蓮正宗系教団の悪癖は、真偽未決の「御書」はおろか「偽書」をも「文証」などと称して使用することでしょう。

本当に日蓮さんの教えを布教したいのであれば、真偽のあやふやなものなど使おうなどとは考えないでしょう。
それでも使うのは、自分たちに都合がいいから使っているわけです。

勤行にしても、日蓮さんや日興さんが読誦していた方便品の長行は読まない、さらには寿量品の長行も読まないなど、宗祖とか派祖の行儀すら棄てています。

そんな人たちが「日蓮仏法」と仰有っても説得力は皆無です。

ちなみに、厳密には「文証」とは経文だけで、釈・疏を傍証とします。
日蓮さんの「御書」を引用することは、「文証」にはなりません。
日蓮さんの正依の経典は、法華と涅槃の二経であり、基本的にはそれと照らし合わせることを「文証」と言います。
もちろん、他の経典の引用も「文証」ですが、それは法華経の傍証としての「文証」ということになります。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-25 03:13 | メモ
○いま「ポスト池田体制」といわれましたが、池田大作氏亡き後、創価学会はどのようになると思われますか。

●いろいろなところで同じ質問をされますが、質問されるひとたちはたいてい「池田氏が亡くなったら創価学会は分裂する」とか「弱体化する」と思っているようです。
 その考え方は一〇〇パーセント間違っていると申し上げたいと思います。

 創価学会の第二代会長戸田城聖氏が亡くなった後、外部では「創価学会は分裂する」という見方がひじょうに多くありましたが、結果は正反対でした。
 戸田会長というカリスマを失った創価学会は、次ぎの会長を出すまで、必死になって教勢の維持拡大をはかりました。
 それは、創価学会員にとって自らのアイデンティティにかかわることだったからです。

 戸田会長が亡くなって創価学会が分裂したり弱体化するようなことがあっては、
 創価学会員は「戸田会長の弟子」とはいえない、
 戸田会長に顔向けができない、
 世間のまちがった予測を打ち破ることで創価学会と自分たちの正義を証明する、
こういった行動原理に支えられ、「姿なき戸田会長」を求心力として「ポスト戸田体制」は動いたのです。

 それと同じく、「ポスト池田体制」も「姿なき池田SGI会長」を当面の求心力として活動することになるでしょう。
 しかも戸田時代とはちがって、いまの創価学会は組織のじっさいの運営についても集団指導体制がとられて、かなり高度な官僚体制が確立していますから、大きな分裂とか弱体化などはないと思われます。

 また「ポスト池田体制」のカリスマについては、だれがその地位につくかはわかりませんが、とうぜん出てくるでしょうし、当分の間は池田路線を踏襲するでしょう。
 池田路線を踏襲することが、後継者の証しであるわけです。
 もちろん、それも十年以内には、池田氏の権威のみを借りて実質的には「脱池田色」を図ることになると思います。
 池田氏の場合も戸田氏の権威を借りつつ、実際には戸田路線を換骨奪胎して戸田カラーを薄めながら「池田学会」にしていったわけですから、ちょうどよいお手本でしょう。 (つづく)
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by siawaseo_anatani | 2008-06-19 03:08 | 創価学会攻防史
○なぜいま再び創価学会について書こうと思われたのでしょうか。

●昭和四十年代のなかばまでは、じつは創価学会批判というのは、主に宗教関係者と学者がおこなっていたのですが、そこには批判する者の立場なり信念なりがありました。
 言論出版問題以降は「ジャーナリスト」による批判が圧倒的に多くなったのですが、その多くは状況論的な批判であったり、スキャンダル指向のもので、ひじょうに皮相的な批判になってしまいました。
 そして、その「ジャーナリスト」たちは、創価学会内部に情報源を求めて、批判記事を量産したわけです。
 まともなジャーナリストであれば、ディープスロートたちの「情報」を垂れ流したりはしませんが、創価学会批判というマーケットでは、「花形記者」なる存在が率先して「情報」の垂れ流しをしてしまいました。
 しかも、その「情報」に「ガセネタ」が含まれていても、意図的に記事にして垂れ流していたようにも思われます。

 創価学会と日蓮正宗の第1次抗争以降は、とくにその傾向が顕著になりましたが、同時に批判者の顔触れがほぼ固定化してきました。
 故人となった「元花形記者」を除くと、「元創価学会顧問弁護士」「元創価学会教学部長」「日蓮正宗僧侶の実弟で元創価学会員」「創価大学出身の元反創価学会新聞の記者」というように、「元創価学会員」による批判記事が非常に多いのです。
 そしてそれらがけっして「脱会して正義に目覚めた」などというものではないことも事実でしょう。

 彼らのおこなっている学会批判に、彼ら自身の学会時代における言動への反省がほとんどないことがそれを示していると思います。
 もちろん「元創価学会員」ではないジャーナリストたちによる批判記事もありますが、多かれ少なかれ前記の五人から「情報」を得ていたというケースが目につきます。
 前記の五人とつき合いのない「創価学会批判ジャーナリスト」はほとんどいないかもしれません。
 つまり、現状では創価学会批判は「元創価学会員」たちによる影響を受けているといっていいかもしれません。

 わたしたちは前記の五人とはまったく関係のない立場でしたし、彼らの影響が強い「創価学会批判ジャーナリズム」を嫌ったともいえます。
 ようやく最近になって、「創価学会批判ジャーナリズム」における「ガセネタ」のひどさがマスコミにもわかってきたようですが、前記五人のフェイドアウトとともに創価学会に関する記事じたいが少なくなってしまいました。
 それだけマスコミにおける「創価学会批判ジャーナリズム」が彼ら中心におこなわれていたということのように思えます。
 創価学会や公明党に対する疑問などは現状でも数多くあるのですが、マスコミ関係者も宗教関係者も、じつは創価学会に関する知識があまりにも少ないようです。
 これは、「スキャンダル」と「状況論」と「ガセネタ」でまわってきた「創価学会批判ジャーナリズム」の悪影響の最たるものといっていいでしょう。

 創価学会攻防史の研究は、「創価学会批判」を第一の目的としたものではありません。
 批判以前に、まづ読者に「知識」をもってもらうこと、そのための材料を提供することを目的としていますが、それは「ポスト池田体制」を視野にいれてのものです。
(つづく)
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by siawaseo_anatani | 2008-06-17 20:28 | 創価学会攻防史
○最初にお聞きしたいのですが、「創価学会攻防史の研究」というタイトルは十数年前に『新雑誌X』(後に『新雑誌21』と改題)で連載されていたものと同じですね。
●はい、タイトルだけではなく、内容も当時と基本的には同一線上にあります。
 当時の原稿も活かして書かせていただきますが、その後に取材したことや新たに入手した資料を盛り込んでいきたいと思います。

○以前の連載から十数年たって、創価学会じたいも、そして創価学会をめぐる状況もずいぶん変化したのではないでしょうか。
●社会的には、政治分野において公明党が政権与党となったことがあげられますが、このことについては別の機会にふれたいと思います。
 宗教的な部分では、日蓮正宗と別れたことがもっとも重要です。
 じつはこのことは、本尊と血脈という日蓮正宗系の信仰上欠くことのできないふたつの要素にかかわる問題なのですが、創価学会のアイデンティティーを大きく左右する問題だといってよいでしょう。
 創価学会という教団は、昔もいまも、世間的にいかに池田大作氏が批判されようとも、宗教法人創価学会も、政治団体である公明党も、自らの問題点や体質を、あらためて反省することもなく、また末端会員の一部には多少の動揺や脱会者が出たりしても、組織の大勢には影響もなく教団は存在し続けています。
 これは創価学会を破門した日蓮正宗においても同様で、七百年の伝統をバックに、その無謬性を過大に主張することにおいては、創価学会と同様であるといっていいでしょう。
 日蓮正宗系の各団体において特徴的なことは、自己正当化を極限まで推し進めることによって表面上はともかく、本質的には他を一切認めようとしない、際立って独善的な体質を有しているというてんにあると考えられます。
 一般的には、このような独善的なものたちが、それぞれに自己の正当性のみを声高に主張すれば、互いに敵対関係にならざるをえないであろうことは自明の理です。
 しかも、いったん敵対関係に陥った場合、そこには徹底した排除の論理が働き、往々にして権力を持つ多数派によって少数派は外部へと押しやられてしまうことになります。
 内棲セクトから外棲セクト化したりカルト化した集団のみに限ったことではないのですが、ある集団においてその趨勢を最も左右するのは、集団内における求心力の問題だといえます。
 宗教教団の場合特に求心力は、教祖、会長、管長など教団トップの者の権威に向かうことになります。
 創価学会と日蓮正宗の場合のように同一宗団内で権威と権威がぶつかりあうとき、宗団の求心力は相対的に弱まることになります。
 日蓮正宗は伝統宗門の権威をもって創価学会をある意味では押さえつけようとし、創価学会(というより池田大作氏)は教勢拡大の実績をたてに日蓮正宗との対等関係もしくは主導権の確立を望んでいたと思われ、両者が一致する妥協点を見いだすことはけっして容易なことではなかったでしょう。
 三十年ほど前、創価学会のいわゆる五十二年路線と呼ばれる日蓮正宗からの独立計画が問題となったとき、全国で十数万人の会員が創価学会を辞め、日蓮正宗の末寺の檀徒となり、いわゆる正信覚醒運動というものを始めましたが、その当時も反創価学会活動寺院の僧侶や檀徒どうしで、さまざまな流言蜚語が飛び交い、互いに疑心暗鬼に駆られ、少なからぬ数の檀徒が信仰から離れていきました。
 疑いをかけられた者は檀徒会の体質に疑問や嫌気を感じ日蓮正宗そのものを否定し、疑いをかけた者はその無責任なデマを流したことを周囲から批判され檀徒会にいられなくなり、檀徒会からだけでなく日蓮正宗の信仰からも脱落していったというケースもありました。
 一般的に、批判する対象への過度の思い込みから完全な視野狭窄をきたし、精神分裂的に被害妄想や誇大妄想に陥るというのは、稀にあることですが、創価学会批判者がそのようになる例は少なくありません。
 彼らの多くは自らの非を絶対に認めようとせず、それを追求されそうになると、ほとんど同じパターンで、まるで狂ったかのように過敏に反応し、攻撃的(つまり暴力的、脅迫的)な言辞・態度・行為に出るのですが、これは日蓮正宗系の団体に特に顕著で、批判する側にも批判される側にも共通しているのです。(つづく)
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by siawaseo_anatani | 2008-06-16 12:31 | 創価学会攻防史

富士門流の上代について

歴史的には日興さんが唯受一人の血脈相承を日蓮さんから受けたという記録の正文書というのは少なくとも大石寺には伝来してはいません。

なにしろ、二箇相承書は重須(北山)本門寺由来の文書で、しかも最古の写本は京都の要法寺日辰のものです。

五一相対も、日興さんの真筆はなく、史実としてはまづ波木井・日向対他の五老僧であったことは、日興さんの書状などに記されています。
これは、日蓮宗宗学全書や日興上人全集で確認することができます。
「五人所破抄」や「富士一跡門徒存知之事」は、日興さんの死後に、富士方と鎌倉方の関係が悪化してから書かれた文書ですから、史実をそのまま記したものであると断定することはできません。

大石寺は南条家が檀那で日目さんの縁戚でしたから、おそらく日興さんは大石寺の名誉住職のようなものではなかったでしょうか。

日興さんは「おほいしのてら」に数年仮寓して後、重須(北山)に移ったのですが、晩年まで本尊の書写と授与を行なっており、けっして隠居したわけではありませんでした。

師の日蓮さんは死ぬまで現役だったのですから、日蓮さんの側近ともいえる日興さんが、生前に代替わりするとは考えられません。

隠退してはいなかったからこそ、日興さんは初代学頭に日澄さんを据え、日澄死後は二代学頭に日順さんを据えたわけですし、日興さんの死後に日代さんが重須の二代になったわけです。

学頭とは重須の学頭ということもありますが、なによりも日興門下の学頭と考えるほうが自然であると思えます。

日興さんの死後、大石寺では、日目さんが京都に天奏の旅に出ましたが、そのことを記述した最も古い文書では、同行したのは日尊さんと日道さんと記されているわけです。

従来は天奏に同行したのは日尊・日郷の二人であるとされてきましたが、これは、時代が下って、大石寺東坊地の係争の中で大石寺側が言い始めたわけです。

つまり、富士の清流というフレーズは不確かなものであるといえると思います。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-11 03:42 | 日蓮正宗
 「本尊三度相伝」は富要だけにしか収録されていない。
 使用した文書は堀日亨によると石山蔵日源本を底本としているという。
 他の書籍に収録されていないということは、現時点で石山は「本尊三度相伝」を「従日蓮日興相伝」の「相伝書」としては認めていない、ということだと思われる。
 これはおそらく房山系の文書であるという判断によるものではないかと推察できるが石山からの公式見解は出されていない。

 同じ房山系でも、「教化弘経七箇口決大事」は、新定と平成新編に収録されている。
 ただし堀日亨編纂の富要、そして未刊の『富士宗学全集』にも収録されてはおらず、「本尊三度相伝」とは逆に、堀日亨が除外したものを石山が採用したことになる。

 このふたつの文書については、近年の日蓮正宗の公式見解は発表されていない。
 59代法主でもあった堀日亨の方針を否定もしくは覆すだけの根拠は、いったいどのようなものなのか興味深いものがある。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-10 16:31 | 日蓮正宗
 「御義口伝」は石山の上巻写本と要山の下巻写本でセットだが、要山本は元亀年間のもので石山本は年代不詳。
 いずれにしても御義口伝石山写本は石山と要山が通用していた時代のものと考えられる。
 つまり、御義口伝は大石寺に伝わったものではないのである。

 「産湯相承」写本については、日悦本、日山本の他に、明応五年(一四九六)の、身延日意による本もあるというが、これは延山の行学日朝が富士よりのものとして日意に見せたものを写したもののようである。

 また新定では記載のない「左京日教本」が石山にあると平成新編の目次には記されている。
 左京日教は要法寺から大石寺に転じ、それまで 大石寺にはなかった新説をいろいろと持ち込んだことで知られているが、後には大石寺を離れている。

 その他に、じつは石山では、筆記年月日不祥だが、なんと日興本があるとされている。
 これは石山系寺院の出版物に記されているのだが、それに対して肯定もしくは否定する石屋の公式発表はこれまでなされていない。
 日興本が石山にある、という記述は、東京国立にある日蓮正宗大宣寺から昭和五十四年に出版された、『御書諸本対照索引』という冊子に記載されている。

 もっとも、古文書資料に関しては、石山の主張はアブナイものばかりで、どこまで信用できるかといえば、典拠が明らかでないかぎり「伝日興本」、つまり「日興筆と言い伝えられた写本」というていどに考えるべきだと思う。
 じっさい新定の目次や脚注にも日興本は記されていないし、平成新編も同様なので、この日興本については信憑性はほとんどないといってよいだろう。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-09 03:10 | 日蓮正宗
 日蓮正宗(石山)では、「日蓮大聖人から日興上人へ与えられた」とするさまざまな「相伝書」「相承書」をもって自門の唯一正統性を誇り主張している。
それらの主なものを以下に記すが、( )の中は写本で、書名の左は主な石山系掲載書籍の略号である。

新編は創価学会の発行ではあるが、堀日亨による編纂であり含めた。
『富士学林教科書 研究教学書』という全三十巻の資料集もあるが、これは石山僧侶限定の少部数内部出版で、既に絶版となり持っていない僧侶も多いために省いた。
『平成校訂日蓮大聖人御書 全3巻』は、現段階で未入手のため割愛した。

【略号】
富要=富士宗学要集
新編=学会版御書全集
聖典=日蓮正宗聖典
新定=昭和新定日蓮大聖人御書
平成=平成新編日蓮大聖人御書
歴全=日蓮正宗歴代法主全書

【各「相伝書」と収録書籍】

御義口伝(上巻石山本、下巻要山本)
富要 新編 聖典 新定 平成
身延相承=日蓮一期弘法付属書(要山日廣本、日辰本西山蔵、北山日出本)
富要 新編 聖典 新定 平成
池上相承=身延山付嘱書(要山日廣本、日辰本西山蔵、北山日出本)
富要 新編 聖典 新定 平成
本因妙抄(要山日尊本、石山日時本、房山日我本、日辰本)
富要 新編 聖典 新定 平成
百六箇抄(北山日山本、房山日我本、日辰本・日山本西山蔵)
富要 新編 聖典 新定 平成
御本尊七箇之相承(房山日悦本、房山日山本)
富要    聖典 新定
教化弘経七箇口決大事(房山日悦本、房山日山本)
新定 平成
寿量品文底大事(房山日悦本、房山日山本)
富要    聖典 新定 平成
産湯相承事(房山日悦本、房山日山本、左京日教本石山)
富要 新編 聖典 新定 平成
上行所伝三大秘法口決(房山本、要山本)
富要 新編 聖典 新定 平成
本尊三度相伝(房山本、要山本、石山蔵日源本)
富要

以上は石山で、「従日蓮日興相伝」とされるものであるが、見てわかるように、石山所蔵の正本はひとつもなく、古写本は全て興門他山つまり「他門」の写本である。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-07 02:28 | 日蓮正宗
 「教学」という用語は「教義学=宗旨学」と「教団史学=宗史学」の二つの意味を含んだものとして考える。

 ふつう「宗学」という用語は「宗派教義学=宗旨学」と「宗派史学=宗史学」の二つの意味を含んだものとして用いられている。

 このことを前提としたうえで、以下のように定義しておきたい。

 1 日蓮教学=真筆現存及び曽存と直弟写本による教えとその研究

 2 日興上人の教え=同右

 3 興門教学=従来、富士教学とも呼ばれてきたが、石山(大石寺)と重須談所(北山本門寺)を中心とした、日興上人及び日興上人の直弟子によるもの

 4 富士宗学=日興門下八本山各派いわゆる富士門流系の教学の総称

 5 石山教学=大石寺教学とも称されてきたもので、他門においては「日有・日寛によって形成・体系化されたところの大石寺の教学」という意味合いで使用されることが多いが、おおまかには日目以降こんにちに至る大石寺歴代貫首(法主)の著述を中心としたもので、正確には「石山宗学」と呼ぶべきもの

 6 日蓮正宗教学=正しくは「日蓮正宗宗学」というべき。広義には「日興を門祖としてこんにちに至る大石寺門流の教義」の意味で、「石山教学」とほぼ同義であるが、狭義には「宗教法人日蓮正宗の教義」を指す

 7 日蓮宗学=広義には「日蓮門下教団全般の教学」の意味であるが、狭義には「宗教法人日蓮宗の教学」を指す。

 8 祖書学=日蓮遺文(御書)に関する文献学及び古文書学、国語学、書誌学的研究

 よく言われる「日蓮正宗教学」なるものは、日蓮教学と宗学を混同したものであると考え、呼称としては不適切であると思われるので、使用しないにこしたことはない。

 その他に、日興上人の弟子である日尊の門流における教学を一般的には
  要法寺教学
という。
 同じく、日興上人の弟子、日郷の門流における教学を一般的には
  保田教学または妙本寺教学
という。
 またこれらの他に、
  京都要法寺の広蔵院日辰の「日辰教学」、
  石山の堅樹院日寛の「日寛教学」
との呼称もあり一般的に使用されている。

 「石山教学」と「日蓮正宗教学」は前述したようにほぼ同義であるが、正しくは「宗学」というべきものである。
 日蓮正宗では、伝日蓮・伝日興などのいわゆる「相伝書」類など写本だけで真筆のない文書を重視かつ依拠する。

 しかもそれらのほとんどは大石寺独自の文書ではなく、
  重須(北山)本門寺
  保田妙本寺(保田、房山とも)
  京都要法寺(要山)
  西山本門寺(西山)
  下条妙蓮寺(下条)
などに伝わる写本などで、興門他山より流入した文献である。

 現在の日蓮正宗(石山)ではこれら他門流由来の文書を、自門の正統性を主張するために、あたかも自山伝承の文書であるかのようにして利用しているわけである。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-04 14:02 | メモ
【創価学会を批判する理由】

一、国家予算を使って政治活動をしているから。
二、学会史などの書き換えを行なっているから。
三、自省・自浄の姿勢が欠如しているから。
四、鵺的教学を繕いもせづ正当化しているから。

個人的経験については「宗教法人創価学会」批判の根拠とはしません。

創価学会と公明党の関係は、政教一体ではありますが、憲法の政教分離原則には直截抵触するとはいえません。

しかし、国家社会主義労働者党ならぬ国家池田主義創価学会党が、国家財政から政党助成交付金を支給されていることは、宗教法人創価学会の政治活動に対して国家予算を使っていることになり、明らかに憲法の政教分離原則に違反しています。

また、実質的に創価学会政治部にすぎない公明党の議員が内閣に参画していることは、創価学会政治部に国政の一端を任せ権力を行使していることであり、これも憲法の政教分離原則に違反しています。
もちろん、副大臣職や政務次官職についても同様です。

創価学会政治部にすぎない公明党対して公金を支払っている政府は、明らかに憲法違反の行為をしていることになります。

現時点で、私は、政府に対して違憲訴訟を行なうべきであると考えます。
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by siawaseo_anatani | 2008-06-03 19:46 | 政治