FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


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「矢野元公明委員長に叙勲内定」
(時事ドットコム)

 政府が11月に発表する秋の叙勲で、矢野絢也元公明党委員長(78)が受章することが19日、分かった。政府関係者が明らかにした。矢野氏は評論活動をめぐり、同党の支持母体の創価学会と激しく対立しており、民主党が模索している公明党との連携に影響が出る可能性がある。
 矢野氏は1967年の衆院選で旧大阪4区から初当選し、以後9回当選。86〜89年に委員長を務めた。政界引退後は政治評論家として活動していたが、雑誌の記事に学会青年部が反発。矢野氏も創価学会を退会し、現在は学会側と訴訟状態にある。
 菅直人首相は先月26日に、池田大作創価学会名誉会長が設立した東京富士美術館を訪問するなど、公明党・創価学会への秋波ととれる動きも見せていただけに、矢野氏の受章内定について憶測も呼んでいる。(2010/10/19-16:46)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&...

・・・・・・・・・・・・・・・
これで民主党菅内閣に対する創価学会の反発・批判はさらにエスカレートするでしょう。

もしもそうなったら、それは「叙勲に対する嫉妬」と言われてしまうでしょうねぇ。

ん?

宗教団体が個人に対して嫉妬するなどということは筋が違いますね。

創価学会の中の誰かが矢野氏に嫉妬する、これならば理解できます。

たぶんそれを「聖教新聞」「第三文明」「創価新報」などが代弁するわけですね。

いつもながらのパターンが展開されるのでしょうか。

そういえば、公明党の国会議員は、
「永年勤続表彰」
などを
「自主的に辞退」

していますね。

ただし、「辞退」が慣例となる前には、聖教新聞紙上で断続的に議員の叙勲や表彰について批判を繰り広げていました。

つまり、誰かさん以外が公的に叙勲や表彰されることは
「不遜」
「思い上がり」

だという論法でした。

これって、嫉妬、ではないでしょうかねぇ。
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by siawaseo_anatani | 2010-10-21 11:31 | 事件
美智子皇后陛下は本日76歳になられました。

心から御慶び申し上げます。


ところで、今年も創価学会の機関紙聖教新聞は、皇后陛下の御誕生日であることを「報道」しませんでした

聖教新聞は日刊紙であり、12ページだての10面と11面は社会面となっていますが、ここしばらく、皇族の方たちのお誕生日報道がなされていません。

1度ならばうっかり忘れたということも有り得ますが、長年にわたってのことですから、これは

「意図的に報道しない」

という確信犯だということになります。

あえて

「反日宗教」

とまでは言いませんが、創価学会は、

「国民統合の象徴」である天皇陛下とその御家族

を軽視する

「非日宗教」もしくは「否日宗教」

であるということです。

「国民統合の象徴」である天皇陛下とその御家族

を軽視する教団に、宗教法人としての公益性を認める必要などありません。


創価学会は、

「憲法の精神を否定している」


ということです。
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by siawaseo_anatani | 2010-10-20 11:16 | 事件

創価学会攻防史の研究02

第1期、創価教育学会時代
前史1、牧口・戸田の入信 01

昭和3(1928)年、東京芝の白金尋常小学校長をしていた牧口常三郎が、日蓮正宗に入信した。

彼を折伏したのは当時、研心学園(現、目白学園)の校長をしていた三谷素啓(みたにそけい、本名・六郎、1878〜1932年)という人物であった。

三谷については後に述べるが、彼は、禅宗から日蓮正宗に改宗している。

その時期は大正4・5年とも大正7年6月ともいわれている。

著書に『立正安国論精釈』(昭和4年、弾正社刊)がある。

一説では、牧口の方から三谷をたずね、6月頃に池袋の日蓮正宗寺院常在寺において受戒したというが詳しい入信月日は不明である。

この牧口の入信に続いて、その年の秋に戸田城外(後の城聖)も同じ池袋常在寺で受戒したが、戸田の入信月日についても秋頃であったとされるだけでやはり明らかではない。

牧口については、彼の生家がもともと日蓮正宗の信者であったとか、日蓮宗でも派は違っていたとか2、3の説があるようだがこれについても定かではない。

牧口自身の言によると、

「もとは禅宗の家に生まれ、法華の家に養われた」(『創価教育学会体系梗概』昭和10年刊)

という。

もっとも日蓮正宗に入信する以前に国柱会の田中智学の話などを聞きに行ったりして、日蓮宗自体に関心はあったようである。

また、10年以上も禊会(みそぎかい)でも活動しており、そこでの「修養会」が後の「夏季講習会」に活かされることになったのである。(つづく)
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by siawaseo_anatani | 2010-10-01 15:14 | 創価学会攻防史