FBI(笑)Oh My Buddaha !・直接間接を問わず、関係・関連することがらを含めメモしていく。過去の記事も加筆訂正することがある。


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師弟不二の出典

法華経にはもちろん全くありません

では、日蓮さんのいわゆる「御書」にはどうか。

学会版の御書だけではなく、他の本でも「師弟不二」という熟語はひとつもありません。

それに近いのは「能所不二」という言葉で、上野殿御返事(学会版P1556)に1ヵ所だけあります。

でもこの御書は身延山の法主だった行学院日朝が書いた写本しかありませんので、日蓮さんが書いたものかどうかもはっきりしていません。

つまり日蓮さんが亡くなってから200~300年たってから出てきた御書です。

それでは「師弟不二」の出典はどこか。

目についたのは、大石寺26世堅樹院日寛さんの書いたものでした。

日寛さんは、寛文5年8月7日(1665年9月15日)から享保11年8月19日(1726年9月14日)まで生きていました。

その日寛さんが享保6年(1721年)書いた「観心本尊抄文段」に、次のようにあります。

「一、経に云く我が如く等(ひとし)くして異なる事無し等文。

(中略)

 この釈成(しゃくじょう)の文また分(わか)ちて三と為(な)す。

初めに「我が如く等く」の下は自受用(じじゅゆう)に約して師弟不二(していふに)を示し、次に「宝塔品(ほうとうぼん)」の下は無作三身(むささんじん)に約して親子一体(しんしいったい)を示し、三に「寿量品(じゅりょうほん)」の下は久遠元初(くおんがんしょ)に約して君臣合体を示す云々。

 初めに自受用身に約して師弟不二を示すとは、謂(いわ)く「如我等無異(にょがとうむい)」の一句は自(おのずか)らこれ標(しるべ)の文なり。

(中略)

既(すで)に久遠元初の仏道に入る我等(われら)衆生(しゅじょう)の凡夫(ぼんぷ)の当体(とうたい)、全くこれ久遠元初の自受用身(じじゅゆうしん)なり。

自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり。

故に「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非(あら)ずや」というなり。

自受用はこれ師、我等はこれ弟子、既に「如我等無異」なり。

豈(あにか)師弟不二に非ずや。」

つまり「師弟不二」という言葉は、日蓮さんとは直接の関係はなく、日蓮さんが亡くなって約450年もたってから言われた言葉のようです。

「師弟相違せば なに事も成すべからず」学会版御書全集P900

華果成就御書の一節です。

ただ、この御書も日蓮さんの真筆がありません。

これもやはり身延山の法主だった行学院日朝が書いた写本しかありませんので、日蓮さんが書いたものかどうかもはっきりしていません。

つまり日蓮さんが亡くなってから200~300年たってから出てきた御書です。

日朝さんがこの写本を書いて他に見せるまで、華果成就御書は誰も知らない文書だったのです。

また、ここに書かれている師匠とは道善房のことですね。

道善房は亡くなるまで法華経には帰依しなかった人です。

つまり、日蓮さんは師匠に背いたわけですから、「師弟不二」ではなかったことになってしまうのです。

「福運」という言葉も御書には1つもありません。

日興さん以下江戸時代までの歴代法主の文書にもありません。

あ、もちろん法華経にもないです

つまり学会用語でしかありませんですね。

「師弟不二」も「福運」も、学会の「信心」には関係があっても日蓮さんや法華経の信心には全く関係ないということになります。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-31 01:49 | メモ

創価学会攻防史の研究03

第1期、創価教育学会時代
前史1、牧口・戸田の入信 02

戸田の入信が牧口の入信から時期が離れていたという点は興味深い。

学会員たちに一般的に信じられている通説では、牧口が入信直後に戸田を入信させたとされている。

この間の経験について書かれたものは少なくないが、脚本家・橋本忍の手による東宝映画『人間革命』のシナリオを、少々長くなるが引用してみよう。
d0153496_14322014.jpg《牧口 『戸田君、ぼくは日蓮正宗に入信した』
戸田 『え、日蓮正宗?』
牧口 『目白商業の校長に三谷素啓という人があり、ぼくの価値論に対し、かねがね話し合いたいと聞いていたので逢ってみた……まるでそれは真剣勝負だった………だが、わしは負けた!』
戸田 『え?』
牧口 『価値論の根底は、小善から中善、中善から大善へと進む善の生活だ。しかし、なにが大善かというと、この人間社会のためという、ひどく広い獏然としたものになってしまう。そしてそれを理論的にさらにもう一段階進めると、これは哲学を越えたもう宗教の問題だ。日蓮正宗にはなにが大善であり、あらゆるいっさいを変えていくもの……それがなにであるかをハッキリ示している。』
牧口 『とにかく、君も入信しなさい!』
戸田 『そりゃまァ、先生のいわれることですから、その通りにはしますが……しかし……』》

橋本のシナリオは池田大作の小説『人間革命』を原作としたオリジナルであるが、要所に関しては現在創価学会において一般的な通説となっている形のままである。
ここで橋本が語ろうとするものは「師匠の言に従う弟子の姿」であり、学会の「師弟不二」論のひとつと言ってよいであろう。

また、教育評論家だった池田諭(故人)は、その著書のなかで、

「三谷に折伏された牧口が次には戸田を折伏し、入信させたのである。」

と述べているが、やはり一般にはこのような入信説話が信じられている。

しかし事実は、戸田を折伏したのは牧口を折伏したと同様に三谷であった。(補足参照)
戸田の言を引いてみよう。

「私が日蓮正宗に入ったのがその年(引用者註、キリスト教を辞めた昭和3年)の秋で、目白小(ママ・商)学校の校長さんの三谷さんから折伏されてねえ。」

日本共産党系の宗教学者である日隈威徳によれば、

「戸田にキリスト教の信仰の指導をしたのは、『時習学館』の生徒の親で田中達夫という工学博士であった。当時、田中は『修養』という伝導誌を発行しており、内村鑑三の弟子であった」

という。

(『シナリオ人間革命』国会図書館請求記号KH119-75)
・・・・・・・・・・・・・
【補足】

三谷素啓さんが教化親というか兄弟子ですね。

私は信仰的には三谷さんの長男が藤本秀之助、次男が牧口常三郎、三男が戸田城外、と考えています。

牧口さんと戸田さんは信仰的には師弟関係ではありません。

牧口さんと三谷さんは途中で喧嘩別れして「絶交」したようです。

ただし、三谷さんがやっていた直逹講には関わり続けて、三谷さんが亡くなった後に直逹講を乗っ取ろうとしました。

それに対して直逹講の人たちが抵抗して、牧口一派に乗っ取られるよりも解散を選んだのです。

直逹講乗っ取りに失敗してから、創価教育学会は本格的に講活動を開始することになります。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-28 14:36 | 創価学会攻防史
創価学会はある種の反社会性を有していると考えています。

しかしながら、創価学会は「うさんくさい」宗教と思われながらも、今日のわが国においてその存在と影響力は一定の力を持つものとなっています。

つまり、「社会に認知」されているという既成事実もあるわけです。

もちろんその「認知」は、「理解」されているということではなく、もっぱら各種メディアを多用した「物量攻勢」による「知名度」でしかないでしょう。

創価学会は、1970年の「言論出版妨害事件」の後、対外的には「折伏(しゃくぶく)」という呼称を「仏法対話」に言い換えるようにしました。

また、大石寺正本堂建立後には機関誌『大白蓮華』のキャッチコピーに「仏法を基調とした総合的文化雑誌」というようなもの使用しはじめたりもしました。

これらはすべてイメージ戦略に過ぎず、内実をソフトであるかのようにミスリードするためのものもでしかありませんでした。

そうしたミスリードを目的とした学会用語・テクニカルターム
「文化闘争」
「文化活動」

というものがありました。

これは実際には
「選挙活動」のことであり「集票活動」のこと
でしたが、創価学会の政治進出に際して、「宗教が政治活動することは政教一致ではないか」という批判をかわすためのカムフラージュだったわけです。

外部に向けてのイメージと内部での意味付けが乖離しているダブルスタンダードは創価学会の常套的方法論であるといえるでしょう。

創価学会における社会性とは、外部の一般社会との協調や相互理解ではなく、影響力の獲得維持と拡大にこそ目的があるのです。

そしてそれが宗教の分野にとどまらず、全方位的に社会の各分野に侵食しているという現実を「創価学会の反社会性」と捉えることは妥当であると考えます。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-26 21:27 | カルト

池田大作氏の「対談集」

創価学会の池田大作名誉会長さんはたくさんの「対談集」を出しています。

その多くは、『潮』『第三文明』など創価学会系の雑誌に連載されたものです。

通常、一般的な対談集というのは、日本人どうしであれば対談日持とか場所を明記する。

また、日本人と外国人の対談であれば翻訳者も明記する。

ところが、
池田大作名誉会長さんの「対談集」のほとんどには、
対談日持
対談場所
翻訳者
が、明記されていない。


これは単行本だけではなく、その元となった連載時の雑誌などでも同様です。

1冊分の対談であれば、最低でも10時間前後はかかります。

外人との対談であれば通訳が必要になりますから、その3倍以上の時間がかかると考えられます。

著名な外国人であればスケジュールはきびしいでしょうし、なにより池田大作名誉会長さんこそ長時間は難しいでしょう。

そこで考えついた方法が、通訳をまじえて1時間前後話し、あとは手紙のやり取りをする、という方法でした。

そして、その手紙がある程度の分量になったら、それを創価学会が「対談」であるかのように編集しなおして機関誌などに発表するわけです。

このやり方が最初に行われたのは、アーノルド・トインビー氏との「対談集」のときだったと思います。

たしかそのときには手紙を対談形式に編集したという説明がなされました。

それ以降、ほとんどの「対談」および「対談集」では、そのようなことわりもなく、前述のように、

対談日持
対談場所
翻訳者

の記載もなくなってしまいました。

非売品の『池田大作年譜』を見ても、池田大作名誉会長さんが海外の著名人と対談集を出せるほど「長時間」会ったという記載はありません。

短時間の会談はあったかもしれませんが、とても本にできる分量ではありません。

つまり、対談ではないから
対談日持
対談場所
を明記することができないわけです。

では、翻訳者の名前がないのはなぜなのでしょうか。

池田大作名誉会長さんの「対談集」では、翻訳者名のない翻訳ものという、世間では考えられないことが行われているのです。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-25 16:12 | 学会系出版物

こだまでしょうか

こだまでしょうか 


『罰だ』っていうと 
(そういう考えが)(あたり)だ』っていう。 

『地獄に堕ちる』っていうと 
(そういう考えが)地獄に堕ちる』っていう。 

『どこまでも追いつめる』っていうと 
(そういう考えがあなたを)どこまでも追いつめる』っていう。 

そうして、あとでうれしくなって、 
『だよね』っていうと 
(あんた、ダメ)だよね』っていう。 

こだまでしょうか(歓喜) 


いいえ、だれでも(溜息)

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by siawaseo_anatani | 2012-07-25 00:19 | カルト
創価学会や日蓮正宗、その他いろいろな教団問題を長年やってきましたが、いちばんのネックは後遺症にあります。

長いあいだ非活動だったり内部アンチだった場合は、比較的かるい後遺症で済むと言えますが、活動していたものが突然辞めたり他の教団に移った場合は、活動していたときの考え方のままなのです。

ほんもの探しで教団ジプシーになるケース
宗教には懲りたといって政治やエコロジーや「愛国」に移るケース

いづれも、考え方はそのままで、たんに立ち位置が替わっただけでしかありません。

当人たちは教団を辞めたのだから、その教団の影響などない、と否定しますが、私の経験からは例外なく影響下にあると判断することになります。

攻撃的な教団にいて他に移った場合、大半のひとが元いた教団に対して攻撃的になります。

そして、自分の考え方とちがっていたり、自分の理解できないことに対して、敵だと思い込む傾向が強くあります。

つまり、元いた教団の思考パターンのままなのです。

それが正義だと思い、
それを主張し、
それを他人に強要する。

それが「信心」だとか「使命」だとか思い込んでいるひとの、なんと多いことか。

40年ちかくこうした問題にかかわってきましたが、こういうケースはこれからも続くでしょう。

けれど、いつか終止符が打たれることを願って、かかわり続けるしかありません。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-24 00:00 | カルト

池田辞任と復権の経緯

池田大作さんが創価学会の会長と日蓮正宗法華講総講頭を辞任したのは、当時の法華講連合会から「総講頭辞任勧告決議」が出ることがわかったからでした。

当時、すでに池田さんは宗門に対してきわめて大きな不審を抱いており、それが宗門軽視の発言になりました。

それを戸田城聖門下の大幹部が止める間もなく、池田さんの茶坊主だった元法華講の福島源次郎副会長や顧問弁護士の山崎正友たちが「池田礼賛」「宗門批判」に動いたわけです。

結果として日蓮正宗法主の細井日達さんが腹をくくり、いよいよとなったら創価学会と別れると言い出し、それを池田さんに密告したのが当時の阿部信雄さん、つまり阿部日顕さんでした。

それに驚いたほとんどの学会大幹部が池田さんの辞任に賛成したのです。

それによって宗門とのパイプもあった北條浩さんが第4代会長になりました。

辞任当初はおとなしくすると言っていた池田さんでしたが、やることがないから会員を激励するという名目で全国を回り、地方の幹部たちを丸め込んだわけです。

そうこうするうちに、北條さんが突然の死去、秋谷栄之助さんが第5代会長になりましたが、池田さんは全国行脚の際に覚知の寺院にも顏を出し、多額のご供養で僧侶たちを懐柔したのです。

北條・秋谷時代になって、学会はそれまでの強引な折伏や無理な登山、そして無理な「ご供養」にストップをかけました。

それは、「ご授戒」などの減少とともに寺院と宗門の収入減となりました。

そこで阿部さんが考えたウルトラCが、池田さんの総講頭復活だったわけです。

池田さんは総講頭に復帰すると、阿部さん系の僧侶に対して手厚くご供養などし、日達さんの弟子たちや早瀬日慈さんの弟子たちと差別しました。

それによって阿部さんに批判的だった日達さんや早瀬さんの弟子たちも阿部さん側につくようになるわけです。

そういう露骨な池田・阿部二人三脚に異議を唱えたのが正信会の僧侶と檀徒、そして当時の法華講連合会でした。

法華講連合会の役員たちは阿部さんに対して抗議の役員総辞職をしましたが、これは阿部さんとしては願ったり叶ったりで、役員を自分に近いものたちに入れ替えることができたわけです。

阿部さんとしては正信会の僧俗を切っても学会の方がケタ違いに「ご供養」を見込めるわけですから、当然なんの迷いもなく正信会を破門したということです。

簡単ですが以上が、おおまかな経緯です。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-15 11:50 | 事件
池田大作氏への各種名誉称号授賞国・団体・機関などをながめてみると見えてくるものがある。

それらの多くは池田氏が創価学会会長を辞任し「名誉会長」となってからのものである。

創価学会が「名誉会長」という「称号」を作ったのは池田大作氏が同会会長を辞任したとき。

「会長を退いたものを名誉会長とする」

その後、規則・規約などを変更しそれを廃止。

現在では、
「総務会の議決に基づき、名誉会長を置くことができる」
とされている。

これ以外に「名誉会長」については具体的な記述はまったくない。

第5代会長秋谷栄之助氏は会長退任後「名誉会長」にはなれなかった。

いま創価学会では池田大作氏を「名誉会長」とは呼ばず「SGI会長」と呼ぶ。

SGIは創価学会規則にも規約にも具体的な記載はなされていない。

会則では「補則」に、
「この会は、この会と教義、目的を共通にする世界各国の団体からなる国際的機構として、創価学会インタナショナルを設置する。 」
とあるだけである。

SGIは「任意団体」でもなくたんに創価学会の「一部所」でしかない。

宗教法人法にもとづく「宗教法人創価学会規則」には、「名誉会長」「SGI会長」についての記述はいっさいない。

このような曖昧かつ不透明な立場のものが、会長や代表役員である理事長以上の影響力をもっているのである。

それは創価学会および海外の組織における絶対的な「権威」であり「権力」でもある。

日本国内の会員数は827万世帯。

SGIについては
「世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁する」
という。

池田大作氏は、この「数」を背景に海外との関係を構築してきたといえる。

その結果として2012年6月13日現在での各種「名誉博士」「名誉教授」などの称号は330を数える。

これらの称号については、創価学会のホームページではなく創価大学のホームページに記載されている。

注意すべきは、これらの称号の多くがたんに「名誉博士」「名誉教授」とあるだけで、どのような「学術分野」での「名誉称号」か明らかではないということである。

たとえば日本国内の場合では一般的に「東大名誉教授」などと記されても正式には「東大文学部名誉教授」などと学部が特定されるものである。

もちろんそれは「名誉博士」についても同様である。

ところが池田大作氏に与えられた「名誉称号」の半数以上がそれを特定できない。

つまり「名誉称号」は多いが「名誉学術称号」は多くはないということである。

330あるこれらの「名誉称号」だが、授与した大学についてよく調べてみるとおもしろいかもしれない。

キーポイントは「産学共同体」である。

これが、冒頭に記したことへのひとつの答えである。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-14 03:13 | メモ
d0153496_20581860.jpg創価学会は戸田城聖の
「原水爆禁止宣言」
アリバイ作りにしか使っていない。

戸田城聖の「使用したものは死刑」の主張をカットするケースがほとんどなのがそれを如実に物語っている。

1966(昭和41)年、つまり政教一体時の公明党の政策に
「核エネルギーの開発」
「核エネルギーの利用化」

が明記されており、これは当時の池田大作会長の意向に沿ったものであった。

池田氏が明確に脱原発を語っていないために、創価公明は「平和利用」「安全確保」などはいうが、けっして「脱原発」にはなれず「脱・原発依存」という言い方しかできない

池田氏の実声が聞けなくなったいま公明党は身動きが取れない状態にある。

「自公連携」は池田大作氏が元気なときの「決定」でありこれを公明党は覆すことはできない

「永久与党」という話しも同様だったがこれは自民党の政権維持を前提としていた。

創価学会執行部は「ポスト池田」をにらみ民自公大連立を切望している。

公明党執行部の
「原発容認」
「消費増税」
路線は公明党地方議員たちを苦しめている。


創価学会の「地方幹部」以外の一般会員・公明党員は
「破和合僧」
「退転」

などのレッテルを貼られないために表面的には仕方なく執行部の主張を「アナウンス」するしかない
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by siawaseo_anatani | 2012-07-08 21:00 | 政治