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小樽問答・全記録 002

以下の文には「編集著作権」があります。引用する場合は、本ブログからであることを必ず明記して下さい。

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 日蓮宗司会者挨拶 本日はこの画期的な日蓮宗講師側と日蓮正宗創価学会教学部との対決の学会を開催致しましたるところ、多数御来場賜わりまして、司会者と致しまして、誠に感謝感激に堪えない次第であります。謹しんでお礼を申し述べます。

 開会に先き立ちまして、お題目の三唱を致したく思いますので、どうぞ、その場で御起立をお願い致します。(ヤジ「どっちの題目だ」「身延か」など)

 南無妙法蓮華経
 南無妙法蓮華経
 南無妙法蓮(妙龍寺所蔵のテープでは、ここから音が消える)華経

 本日の会合の司会者と致しまして取り運びます順序、その他のことにつきまして一言申し上げます。
先ず最も大切でありますことは会場が非常に多数詰めかけておりますために、非常な混乱も起るということが想像されるのでありまするが、画期的なこの学会でございます。
聴衆の各人が一言一句も聴き洩らすようなことがありましては、誠にこの希有の大会をして汚濁に頻するということにも相成ると存じますので、両司会者の(音が入る)指図に従いまして飽くまでも静粛裡にこの大会が終了せられますよう、皆様の自粛自戒をお願い申し上げる次第でございます。

 なお時間が、只今より開会せられまして、九時十分に終了ということになっております。
講師は各二名づつ登壇致します。
講師の弁論は始め一人各十二分、更にその補足を致しますのが五分、その順序は司会の側におきまして抽選を致して決っします。
一般質問は二十分、司会者が指名致しました来聴者皆様方からの質問に応ずることに相成っております。

 なお講師の弁論が終りました後、講師間の質疑応答を三十分致しまする。
本日の学会におきまして勝敗を決するというような別に判者、判定人を別に設けておりません。
そのために勝敗ということには頓着しないのでありまするが、もしも講師間におきましてその答弁に窮した場合、約二分間を経過するものは、これは負けたりというふうにみなすのもよろしいのでございます。

 このように実は司会者側におきまして取り決めを致してあります。

 なお会場にはそれぞれ、私どもの日蓮宗側と日蓮正宗の側から警備の方が出ております。
司会者の命には絶対従って頂きまして、各会場係、警備の方の指図に従って頂きたいと存じます。

 大体申し上げる事項は右のような次第でありまするが、くれぐれも静粛を旨として頂くことを切にお願い申し上げます。

 それでは只今より日蓮宗側の講師としてお招き致しました先生を御紹介申し上げます。

 長谷川義一先生であります(拍手)
 室住一妙先生であります(拍手)
 失礼を致しました。

 学会側司会者挨拶 (拍手)えー、学会の司会を致します池田と申します。(拍手)

 全国にわたりまして日蓮正宗の、仏法の正しいゆえんによって全国にわたる間違った、邪教といい切れる日蓮宗身延派の信者が何千、何万と創価学会、日蓮正宗の信者になったということは、実に日蓮正宗が正しいという証拠であります。(拍手)

 したがって今身延派ではその身延の信仰があくまで、日蓮大聖人ように対する敵であり、仏敵であり、それに気づき日蓮正宗の仏法のみが、経文の上でも哲学の上でも、事実の現証の上でも正しいという証拠のゆえに身延をやめて日蓮正宗の信徒となったのであります。(拍手)

 ゆえに、ゆえにその状態に躍気となって今身延ではあの手この手を使って大衆を騙らかせ日蓮正宗の誹謗をなしておるの状態が今日の結果になったと思うのであります。(拍手)
されば、されば、私も身延の本山に行ってまいりました。
あくまでも日蓮大聖人様は「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ信ぜさせ給え」そう申せられた御意志に背き、身延の本山そのもの全体が稲荷を拝み蛇を拝みあるいは小乗の丈六の釈迦を拝み、その雑乱ぶりたるや狂態の沙汰である感を覚えたのであります。(拍手)

 世間では身延山があくまでも祖山であるというふうに考えておりますが、身延と日蓮正宗との法の勝劣は、厳然たるものであり、未だかって大聖人様の真髄たる日蓮正宗の仏法が身延などの邪宗邪義に敗けておるわけが絶対にないのであります。(拍手)

 本日ここに日蓮宗、又わが日蓮正宗創価学会の教学部の小平芳平氏、それから辻武寿氏が身延の権威者であられるようなお方と対決、また法論をする状態によって、皆様が明らかに、いかに日蓮正宗が正しく、いかに日蓮宗身延派が邪道であるかということが、はっきりなされることと思う次第でございます。(拍手)

 学会教学部の先生方の御紹介を、私から致します。(拍手)

 こちらに居られるのが創価学会教学部、小平芳平先生でございます。(拍手)

 こちらに居られるのが教学部、やはり、辻武寿先生でございます(拍手)

 どうかさきほど、身延派の司会者が申されましたが、司会者の間におきましても、絶対に審判は司会者の権限にあり、また法論のしっかりした正邪というものを、あくまでもお取りしたいと考えておりますし、また場合によっては皆様方の賛否の状態も伺いたいと存じております。
どうかこれから両講師のお話に入りますけれども、よくよくお聴き願いたいと思います。
簡単でございますが、御挨拶と致します。(拍手)
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by siawaseo_anatani | 2012-09-19 05:08 | 小樽問答
 牧口と戸田が入信した翌昭和4(1929)年、彼らを折伏した三谷素啓は『立正安国論精釈』を著し世に問うた。

学会の資料によると三谷は

「常在寺に属する『大石講』の幹部」

だったというが、彼についての詳細は現在のところ明らかではない。

しかし、評論家の平野計によると、

「三谷氏の日蓮正宗教学の理解は日蓮正宗の主流派の教義解釈と違って、明治初年に日蓮正宗の中でおこった有力な異端的在家運動である完器講の系統といわれる。」

という。

 前述したように、牧口常三郎と戸田城外を折伏し日蓮正宗に入信させたのは三谷素啓であったが、柳田国男が「故郷七十年」と題する文の中で三谷について触れている箇所がある。(引用に際して改行を施した)

《富士山の麓にいくつか日蓮宗の寺があるが、牧口君はそのうちの本門寺というのに参り出した。

その原因として三谷という一人の面白い人物が介在していた。

どうも正体の判らない変った人物で、盛んに嘘をついた。

ところがいくつかの珍しい妙薬をもっていて、大して大きくない塗り薬とか、煎じ薬とかであったが、それが不思議に良く効いた。

それで私はいつか聞きに行ったことがある。

貴方どうしてそんなにたくさんいろんな薬の秘密を知っているかといったところ、やはり嘘の返辞をした。

 シナの牛荘(ニュウチャン)から何十里とか何百里とか入った所に旧いお寺があって、いろんな珍しい物が伝わっているのみならず、大変な書物をもっていた。

そんないかにも私の喜びそうな話をしてから、三谷はそこにしばらくいて、そこで覚えて来たというのだが、聞いているうちにでたらめが判るような話ばかりであった。

それが本門寺の信徒だったわけである。

 牧口君とは早くから知り合っていた間柄らしく、牧口が私に『一度三谷君に会って御覧なさい、三谷君の所に面白い薬がありますよ』といって紹介してくれたのが最初であった。

私もその薬の恩恵だけは受けているが、その成分は少しも知らせてくれなかった。その男が牧口君を仏教の方へ導いていった。》

 長い引用になったが、本稿は資料の紹介も目的のひとつとしており、これからも各種文献等の引用は最大限に行なうつもりである。

 さて、柳田の文は、他の箇所でも創価教育学を「創価経済学」と記すなど誤りもあるが、三谷の人となりについて書かれた数少ないもののひとつであり、興味深いものがある。

 また、「牧口君はそのうちの本門寺というのに参り出した」とあるが、これは北山本門寺のことである。

 35年ほど前にこの文章を初めて読んだときは柳田の勘違いかと思ったのだが、その後、昭和51年に、北山本門寺の僧侶、故・早川達道師に聞いた話では、牧口は昭和2年ころに何度か北山本門寺を訪れている。

創価教育と日蓮について自説をいろいろと話して、

「本門寺の信徒になりたいといったが、あなたの考えは日蓮聖人の教えとは違う、といって帰ってもらった」

ということであった。

 このとき、牧口が三谷とすでに出会っていたのか、それともまだ国柱会に出入りしていたのかはわからないが、牧口が日蓮正宗に入信する以前に、北山本門寺の信徒になろうとしていたという事実には、非常に興味深いものを感じる。
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by siawaseo_anatani | 2012-09-11 12:42 | 創価学会攻防史

創価学会攻防史の研究08

〔「価値論」〕

後に創価思想と呼び称されるところの考え方は「日蓮正宗の信仰にその論理的帰結を見い出した」と、今日の学会関係者は言うのだが、牧口の教育理論と日蓮正宗との接点を初めて見い出し得るのは、いわゆる『価値論』においてである。

しかし、それも戦後に戸田の手により増補改訂されたものとは内容がかなり異なる。

『価値論』は、昭和6(1931)年に『創価教育学体系第2巻』として世に出たが、戦後、昭和26(1951)年の牧口の8回忌に、戸田が増補改訂して『創価学会版』として再版された。

これは後に、昭和40(1965)年に刊行された『牧口常三郎全集』全5巻(第三文明社)のうち『第1巻、創価教育学体系(上)』に収録された。

その二種とも絶版になり、10数年の間、われわれ外部の者はおろか、学会員でさえも古書店でしか「価値論」を入手することはできなかったのである。

現在では新版『牧口常三郎全集』全10巻(第三文明社)の第5巻所収のものと、聖教文庫版『創価教育学体系II』として出版されているもの、そしてレグルス文庫版の3種類が入手可能である。(ただし、レグルス文庫版以外についてはふたたび在庫かぎりで事実上の品切れが続いている。)

 聖教文庫版はその凡例によると、

《一、本書は「創価教育学体系」全四巻中の第二巻(価値論)の初版(昭和六年三月五日発行)に基づいて多少の校訂を加え、これを収録したものである。》

 となっており、ほぼ牧口の原著に近いものといえる。

定本たるべき旧版の『全集』に収録されたものが、戸田の『増補改訂版』であったというのも奇妙であるが、これについては後に述べる。

 教育理論については独自の説を唱えた牧口が、何故に日蓮正宗という既成の伝統仏教宗派に入信したのか。

このことに関しては現在ほとんど明らかになっていないが、興味深いと思われるのは、当時、牧口らと共に「郷土会」のメンバーだった柳田国男の「牧口君入信の動機」と題する次ぎの一文である。

「牧口君は家庭の不幸な人で、沢山の子供が患ったり死んだりした。

細君も良い人だったが、夫婦で悩んでゐた。

貧苦と病苦と二つが原因となって信仰に入ったのかと思ふ。

以前は決して宗教人ではなかった。」

 牧口と柳田は明治42(1909)年以来親交があったというが、その後、牧口が信仰を深めるにつれ柳田の方から牧口を敬遠するようになっていったという。

(この牧口と柳田の関係については、故・竹中労による『庶民烈伝』を是非とも参照されたい。)
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by siawaseo_anatani | 2012-09-05 19:42 | 創価学会攻防史