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『小説 人間革命』というのは、創価学会の戸田城聖氏(故人)が書いた「宗教小説」の題名です。

初出は『聖教新聞』昭和26(1951)年4月20日の創刊号からの連載。
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後に、加筆訂正のうえ精文館から昭和32(1957)年7月3日に単行本として発刊されました。

この「人間革命」という題名については昭和23(1948)年に出版された、東大総長であった南原繁氏(故人)の同名の著作名から借りたものだと思い、このことは昭和48(1973)年に指摘しました。

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しかし、どうやらそうではなかった可能性が出てきました。

詳しいことはいづれ述べたいと思いますが、今回は「南原繁淵源説」を保留するという報告だけさせていただきます
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by siawaseo_anatani | 2013-06-17 12:08 | メモ
戸田城聖のレコードが、中国では5枚で66,000元前後で取り引きされている。

日本円だと約8万4千円、1枚あたり1万6千8百円。

なぜだ。

25枚そろえると、日本円で42万円。
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by siawaseo_anatani | 2012-10-22 15:08 | メモ

創価学会攻防史の研究08

〔「価値論」〕

後に創価思想と呼び称されるところの考え方は「日蓮正宗の信仰にその論理的帰結を見い出した」と、今日の学会関係者は言うのだが、牧口の教育理論と日蓮正宗との接点を初めて見い出し得るのは、いわゆる『価値論』においてである。

しかし、それも戦後に戸田の手により増補改訂されたものとは内容がかなり異なる。

『価値論』は、昭和6(1931)年に『創価教育学体系第2巻』として世に出たが、戦後、昭和26(1951)年の牧口の8回忌に、戸田が増補改訂して『創価学会版』として再版された。

これは後に、昭和40(1965)年に刊行された『牧口常三郎全集』全5巻(第三文明社)のうち『第1巻、創価教育学体系(上)』に収録された。

その二種とも絶版になり、10数年の間、われわれ外部の者はおろか、学会員でさえも古書店でしか「価値論」を入手することはできなかったのである。

現在では新版『牧口常三郎全集』全10巻(第三文明社)の第5巻所収のものと、聖教文庫版『創価教育学体系II』として出版されているもの、そしてレグルス文庫版の3種類が入手可能である。(ただし、レグルス文庫版以外についてはふたたび在庫かぎりで事実上の品切れが続いている。)

 聖教文庫版はその凡例によると、

《一、本書は「創価教育学体系」全四巻中の第二巻(価値論)の初版(昭和六年三月五日発行)に基づいて多少の校訂を加え、これを収録したものである。》

 となっており、ほぼ牧口の原著に近いものといえる。

定本たるべき旧版の『全集』に収録されたものが、戸田の『増補改訂版』であったというのも奇妙であるが、これについては後に述べる。

 教育理論については独自の説を唱えた牧口が、何故に日蓮正宗という既成の伝統仏教宗派に入信したのか。

このことに関しては現在ほとんど明らかになっていないが、興味深いと思われるのは、当時、牧口らと共に「郷土会」のメンバーだった柳田国男の「牧口君入信の動機」と題する次ぎの一文である。

「牧口君は家庭の不幸な人で、沢山の子供が患ったり死んだりした。

細君も良い人だったが、夫婦で悩んでゐた。

貧苦と病苦と二つが原因となって信仰に入ったのかと思ふ。

以前は決して宗教人ではなかった。」

 牧口と柳田は明治42(1909)年以来親交があったというが、その後、牧口が信仰を深めるにつれ柳田の方から牧口を敬遠するようになっていったという。

(この牧口と柳田の関係については、故・竹中労による『庶民烈伝』を是非とも参照されたい。)
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by siawaseo_anatani | 2012-09-05 19:42 | 創価学会攻防史

創価学会攻防史の研究06

戸田はパトロン

いずれにせよ、戸田がキリスト教に対して心を揺らしているその頃に、まず牧口が日蓮正宗に入信したのであるが、牧口が後に“創価教育”と称する独自の考えを主張し、且つ実際に行なっていたのはそれよりも前のことである。
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当初から牧口の教育思想の実践道場を意図していたかどうかは不明であるが、戸田が学習塾“時習学館”を開いたのは大正13(1923)年のことであり、牧口の教育思想そのものは時習学館の開設以前に既に成っていた。

また、時習学館は前述したとおり戸田が「大正12年ごろ、教師をやめ経済の方へ入ろうとして」始めたものであり、経済活動としての塾経営であった。
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牧口が時習学館に常勤していたことは確かであるが、それは時習学館の経営者としてではなかった。

牧口の正式な雇用関係や身分は不明であるが、戸田から給与をもらって生活していたことは確実であり、表現は悪いかもしれないが、事実上、戸田は牧口のパトロンのような存在だったと考えられないだろうか。d0153496_1265027.jpg


今日、牧口の業績として揚げられる『人生地理学』(1903年)、『教授の統合中心としての郷土科研究』(1912年)などはいづれも牧口の入信以前の著作であり、またD・M・ベセルが指摘するように
『創価教育学体系』は、牧口の「職業教育家としての40年になんなんとする経験にはぐぐまれた哲学と教育学」
の「要約」と見ることが妥当であろう。

確かに『創価教育学体系』は牧口の入信後に出版されているが、その原稿のもととなったメモは、牧口が上京して以来、約20年の間に書きとめられていたものであり、入信したことによって初めて『創価教育学体系』が成ったのではない。
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by siawaseo_anatani | 2012-08-07 01:30 | 創価学会攻防史
「ある対話 1957 戸田城聖 創価学会 日本共産党(01)」
http://siawaseo.exblog.jp/13063217/
より続く。

戸田城聖全集未収録。
編集著作権あり。

・・・・・・・・・・・・
T田  (K山氏の名刺を見ながら)フーン、あんたこれほど偉いとは思わなかったですね。

K山  それほどではないさ、いまはますます、えらくなどないのだよ。

T田  あんた共産党だったな、一ばい飲むか……。

神山  いやいや。共産党は君のところの日興上人じゃないが村八分になっている。

T田  そいつはおもしろいや。おい、ビール持ってこい。……あんた共産党の村八分ですか。おれなんか宗教の村八分だよ。昔から村八分ばかりやられている。……これは御中元でもらったビールだ、遠慮することはないぞ。(笑)ここだって、少しは御中元がくるぞ。
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by siawaseo_anatani | 2012-08-02 14:17 | 資料紹介

創価学会攻防史の研究04

前史1、牧口・戸田の入信 03

話が前後するが、入信にいたる経緯について戸田は次ぎのように語っている。

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「キリスト教を3年やりながらたえずなんとなく安定感がなく、おっかけられているようで事業が安定しない。

そこへ三角関係もあって楽しくなかったので、

『キリスト教の神のあることはオボロにわかるが障子に映るちょうちんのようなものだ。

懐しく尊いものとは思えない。

知識としては、私はわかっているつもりだ。』

といったんだが、1時間以上も田中さんはだまっていただけだったんだなあ。

そこで私はキリスト教をやめた。」

ここに出てくる「田中さん」とは、前述の力行会において戸田の面倒をいろいろと見ていた人物である。

以上の発言であきらかなように、戸田を折伏したのは“師”牧口ではなく、牧口を折伏したと同じく三谷素啓であった。

その意味では牧口と戸田の関係は「師弟」ではなく「同志」ということになる。

また、戸田は日蓮正宗に入信したからキリスト教を辞めたのではなく、キリスト教を辞めてから日蓮正宗に入信したことになる。

こう見てくると戸田の入信は偶然だとも考えられる。

即ち、キリスト教の代替としての信仰が日蓮正宗でなければならなかったという必然性はなく、その時点で、もし他の宗教に接していたならば、戸田はそちらの信仰を採ったかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・
【補足】

戸田さんは正宗に入らなくても、創価教育学会でナンバー2だったでしょう。

はっきり言えば、戸田さんは牧口さんのパトロンのような存在だったと考えられます。

実体の無い創価教育学会を組織化したのも戸田さんでしょう。

なにしろ、創価教育学会は時習学館の中にあったわけですから。
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by siawaseo_anatani | 2012-08-01 16:59 | 創価学会攻防史

創価学会攻防史の研究03

第1期、創価教育学会時代
前史1、牧口・戸田の入信 02

戸田の入信が牧口の入信から時期が離れていたという点は興味深い。

学会員たちに一般的に信じられている通説では、牧口が入信直後に戸田を入信させたとされている。

この間の経験について書かれたものは少なくないが、脚本家・橋本忍の手による東宝映画『人間革命』のシナリオを、少々長くなるが引用してみよう。
d0153496_14322014.jpg《牧口 『戸田君、ぼくは日蓮正宗に入信した』
戸田 『え、日蓮正宗?』
牧口 『目白商業の校長に三谷素啓という人があり、ぼくの価値論に対し、かねがね話し合いたいと聞いていたので逢ってみた……まるでそれは真剣勝負だった………だが、わしは負けた!』
戸田 『え?』
牧口 『価値論の根底は、小善から中善、中善から大善へと進む善の生活だ。しかし、なにが大善かというと、この人間社会のためという、ひどく広い獏然としたものになってしまう。そしてそれを理論的にさらにもう一段階進めると、これは哲学を越えたもう宗教の問題だ。日蓮正宗にはなにが大善であり、あらゆるいっさいを変えていくもの……それがなにであるかをハッキリ示している。』
牧口 『とにかく、君も入信しなさい!』
戸田 『そりゃまァ、先生のいわれることですから、その通りにはしますが……しかし……』》

橋本のシナリオは池田大作の小説『人間革命』を原作としたオリジナルであるが、要所に関しては現在創価学会において一般的な通説となっている形のままである。
ここで橋本が語ろうとするものは「師匠の言に従う弟子の姿」であり、学会の「師弟不二」論のひとつと言ってよいであろう。

また、教育評論家だった池田諭(故人)は、その著書のなかで、

「三谷に折伏された牧口が次には戸田を折伏し、入信させたのである。」

と述べているが、やはり一般にはこのような入信説話が信じられている。

しかし事実は、戸田を折伏したのは牧口を折伏したと同様に三谷であった。(補足参照)
戸田の言を引いてみよう。

「私が日蓮正宗に入ったのがその年(引用者註、キリスト教を辞めた昭和3年)の秋で、目白小(ママ・商)学校の校長さんの三谷さんから折伏されてねえ。」

日本共産党系の宗教学者である日隈威徳によれば、

「戸田にキリスト教の信仰の指導をしたのは、『時習学館』の生徒の親で田中達夫という工学博士であった。当時、田中は『修養』という伝導誌を発行しており、内村鑑三の弟子であった」

という。

(『シナリオ人間革命』国会図書館請求記号KH119-75)
・・・・・・・・・・・・・
【補足】

三谷素啓さんが教化親というか兄弟子ですね。

私は信仰的には三谷さんの長男が藤本秀之助、次男が牧口常三郎、三男が戸田城外、と考えています。

牧口さんと戸田さんは信仰的には師弟関係ではありません。

牧口さんと三谷さんは途中で喧嘩別れして「絶交」したようです。

ただし、三谷さんがやっていた直逹講には関わり続けて、三谷さんが亡くなった後に直逹講を乗っ取ろうとしました。

それに対して直逹講の人たちが抵抗して、牧口一派に乗っ取られるよりも解散を選んだのです。

直逹講乗っ取りに失敗してから、創価教育学会は本格的に講活動を開始することになります。
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by siawaseo_anatani | 2012-07-28 14:36 | 創価学会攻防史
d0153496_20581860.jpg創価学会は戸田城聖の
「原水爆禁止宣言」
アリバイ作りにしか使っていない。

戸田城聖の「使用したものは死刑」の主張をカットするケースがほとんどなのがそれを如実に物語っている。

1966(昭和41)年、つまり政教一体時の公明党の政策に
「核エネルギーの開発」
「核エネルギーの利用化」

が明記されており、これは当時の池田大作会長の意向に沿ったものであった。

池田氏が明確に脱原発を語っていないために、創価公明は「平和利用」「安全確保」などはいうが、けっして「脱原発」にはなれず「脱・原発依存」という言い方しかできない

池田氏の実声が聞けなくなったいま公明党は身動きが取れない状態にある。

「自公連携」は池田大作氏が元気なときの「決定」でありこれを公明党は覆すことはできない

「永久与党」という話しも同様だったがこれは自民党の政権維持を前提としていた。

創価学会執行部は「ポスト池田」をにらみ民自公大連立を切望している。

公明党執行部の
「原発容認」
「消費増税」
路線は公明党地方議員たちを苦しめている。


創価学会の「地方幹部」以外の一般会員・公明党員は
「破和合僧」
「退転」

などのレッテルを貼られないために表面的には仕方なく執行部の主張を「アナウンス」するしかない
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by siawaseo_anatani | 2012-07-08 21:00 | 政治

「古島一雄」

創価学会問題を理解するためのキーワード

「古島一雄」
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池田大作の小説『人間革命』や石井いさみの『劇画人間革命』では悪人のように書かれているが、ジャーナリスト出身であり、衆議院議員、貴族院議員でした。

金銭には潔癖で通し」たと、政財界マスコミでの人物評は高い。

1865年(慶応元年)8/1~1952年(昭和27年)5/26、享年86歳。

葬儀委員長、吉田茂は次のように述べた。

「翁(古島)の一生は清貧と剛直の記録で、常に若々しい政治感覚をもって、憲政の確立に努めた」

読売新聞夕刊(1952年5/27)は、

古島翁は一生を通じて中国問題に尽力し、その方面のかくれた功績も忘れることは出来ない、この翁今やなし」

と記している。

古島については、

「犬養毅の参謀、影武者、黒衣」(中村 義・東京学芸大学名誉教授)

という見方もあるが、その言動は「誠心誠意」「清貧」の人物であった。

長野において教育者たちの育成に携わっていたときには、憲兵隊に召喚されてもいる。(1937年7月)

この時代の長野の教師の1人は、またキーワードとなる人物でもある。

戸田城聖の恩人といって過言ではない。
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by siawaseo_anatani | 2012-04-21 01:15 | メモ
 天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。
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 さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後とも難があるかもしらん。
あるいは身に攻撃を受けようかとも思うが、諸君らに今後遺訓すべき第一のものを本日は発表いたします。

 まえまえから申しているように、次の時代は青年によってになわれるのである。
広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもないことであり、これはぜひともやらんければならんことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。
いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を透徹させてもらいたいと思うのであります。

 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。
それは、もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。

 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。
その権利をおびやかすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。
それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔物であるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります。
願わくは、きょうの体育大会における意気をもって、この第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、きょうの訓示にかえるしだいであります。

「原水爆使用者は死刑に」
『戸田城聖先生 講演集 下』(昭和36年10月12日、初版、創価学会発行)p.p346~348

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文中で、戸田城聖氏は、2度も、
「ことごとく死刑にすべきであるということを主張する」
「ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張する」
と強く述べています。

通常、繰り返しというのは、最も強調したいところで使うものです。

現在の創価学会では「死刑廃止」が路線のようですから、この戸田城聖氏の
「遺訓すべき第一のもの」
も、換骨奪胎されてしまっているようです。

また、文章も現在、創価学会でふつうに知られている文言とは違っています。
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現在知られているものは、ひらがなを漢字に直すなどは許容範囲ですが、戸田城聖氏が発言していないことを勝手に付け加えていたり、話し言葉を書き言葉に修正したりしています。

ささいな「書き替え」ではありますが、書き換えられたものを戸田城聖氏の言葉だと思っている創価学会員さんたちは注意していただきたいと思います。

なお、現在知られているものは、著作権法に違反し戸田城聖氏の死後50年以内に書き換えられているものです。

なお、文章「抜粋」の画像は、2011年9月7日付の『創価新報』からのものです。
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by siawaseo_anatani | 2011-09-08 12:31 | 資料紹介