創価学会の池田大作名誉会長さんはたくさんの「対談集」を出しています。
その多くは、『潮』『第三文明』など創価学会系の雑誌に連載されたものです。
通常、一般的な対談集というのは、日本人どうしであれば対談日持とか場所を明記する。
また、日本人と外国人の対談であれば翻訳者も明記する。
ところが、
池田大作名誉会長さんの「対談集」のほとんどには、
対談日持
対談場所
翻訳者
が、明記されていない。
これは単行本だけではなく、その元となった
連載時の雑誌などでも同様です。
1冊分の対談であれば、最低でも10時間前後はかかります。
外人との対談であれば通訳が必要になりますから、その3倍以上の時間がかかると考えられます。
著名な外国人であればスケジュールはきびしいでしょうし、なにより池田大作名誉会長さんこそ長時間は難しいでしょう。
そこで考えついた方法が、通訳をまじえて1時間前後話し、あとは手紙のやり取りをする、という方法でした。
そして、その手紙がある程度の分量になったら、それを創価学会が「対談」であるかのように編集しなおして機関誌などに発表するわけです。
このやり方が最初に行われたのは、アーノルド・トインビー氏との「対談集」のときだったと思います。
たしかそのときには手紙を対談形式に編集したという説明がなされました。
それ以降、ほとんどの「対談」および「対談集」では、そのようなことわりもなく、前述のように、
対談日持
対談場所
翻訳者
の記載もなくなってしまいました。
非売品の『池田大作年譜』を見ても、池田大作名誉会長さんが海外の著名人と対談集を出せるほど「長時間」会ったという記載はありません。
短時間の会談はあったかもしれませんが、とても本にできる分量ではありません。
つまり、対談ではないから
対談日持
対談場所
を明記することができないわけです。
では、翻訳者の名前がないのはなぜなのでしょうか。
池田大作名誉会長さんの「対談集」では、翻訳者名のない翻訳ものという、世間では考えられないことが行われているのです。