前史1、牧口・戸田の入信 03
話が前後するが、入信にいたる経緯について戸田は次ぎのように語っている。
「キリスト教を3年やりながらたえずなんとなく安定感がなく、おっかけられているようで事業が安定しない。
そこへ三角関係もあって楽しくなかったので、
『キリスト教の神のあることはオボロにわかるが障子に映るちょうちんのようなものだ。
懐しく尊いものとは思えない。
知識としては、私はわかっているつもりだ。』
といったんだが、1時間以上も田中さんはだまっていただけだったんだなあ。
そこで私はキリスト教をやめた。」
ここに出てくる「田中さん」とは、前述の力行会において戸田の面倒をいろいろと見ていた人物である。
以上の発言であきらかなように、戸田を折伏したのは“師”牧口ではなく、牧口を折伏したと同じく三谷素啓であった。
その意味では牧口と戸田の関係は「師弟」ではなく「同志」ということになる。
また、戸田は日蓮正宗に入信したからキリスト教を辞めたのではなく、キリスト教を辞めてから日蓮正宗に入信したことになる。
こう見てくると戸田の入信は偶然だとも考えられる。
即ち、キリスト教の代替としての信仰が日蓮正宗でなければならなかったという必然性はなく、その時点で、もし他の宗教に接していたならば、戸田はそちらの信仰を採ったかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・
【補足】
戸田さんは正宗に入らなくても、創価教育学会でナンバー2だったでしょう。
はっきり言えば、戸田さんは牧口さんのパトロンのような存在だったと考えられます。
実体の無い創価教育学会を組織化したのも戸田さんでしょう。
なにしろ、創価教育学会は時習学館の中にあったわけですから。