「ある対話 1957 戸田城聖 創価学会 日本共産党(02)」
http://siawaseo.exblog.jp/16552257/
より続く。
戸田城聖全集未収録。
編集著作権あり。
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「心配な創価学会の役割」
「百年たてばわかる」
神山 あんたはこのごろすっかり人気者になっちゃったじゃないの。
戸田 それが迷惑で闘っているのだよ。
僕はわがままものでね、寝たいときは寝ているし、しゃべるときはしゃべっているし、それがいまは、寝てるところを起こされて、それで先生に会ってしゃぺらなければならない。
こういう運命は楽じゃないよ。
神山 ウン、それは楽じゃないな。
そこをあんたがどう感じているか、と……。
戸田 困っている。いやだよ。
それは、人気者になったということはいいけれども、それでめし食っているわけでもないしね。
……先生も飲みなよ。
……僕らは誤り伝えられているのですよ。
共産党に反対だとか、社会党に反対だとか、自民党の分派だといわれたり。
わしはそういう考えはありませんぞ。
社会党でも自民党でもやろうじゃないか。
応援してやるよ。
自民党が良いと決まってないのだから、ということだ。
岸がやっていることがいいとは決まっていないのだから。
そうでしょう。労働運動も絶対大事な権利ですよ。
神山 世間の一部じゃ、あんたのところが岸に使われている、といったり、旧軍人にのっとられるとか、ファシストの組織になるとか、書いたりしている。
それと、さらに宗教学者の中じゃ、あんたのところの学会の演じる役割とその結果について……。
戸田 おい、ウイスキー持ってこい。
先生のビールにも入れよう。
まづわたしのグリ友さんのコメントを転載させていただきます。
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わたしが担当している利用者の家族から電話がありました。
その利用者も家族も学会員です。もちろん、わたしも。
その利用者本人、頗る体調が悪く宿泊のできるデイサービスに長期滞在しているのですが、今になって投票に行かせたいとのこと。
実際、貧血がひどく立って歩ける状態ではないので、投票所に行かせるのは命に関わります。
そんな状態であることを家族は知っているのに、投票所へ連れ出すことを目論んでいます。
その家族、もし本人が投票できないのであれば、代理で投票を依頼しているとのこと。
デイサービスの責任者によると、職員に行ってもらって、その職員の投票権でもって代わりに投票させるという。
デイサービスの責任者はそういった事情を十分に把握しており、職員に対して強制して遂行しようと考えているとのこと。
公正選挙を謳う組織でありながら、そのような不正を犯してまで当選させようとするアノ組織の人たちはおかしいです。
謗法さえしなければ国法や世間法を破ってでも事を為そうとするのは常軌を逸しているとしか言えません。
バレなければいいというのは、やっぱりダメです。
デイサービスの責任者には無理を言えません。
代わりに投票しろなんて言えません。
家に居られると活動に差し支えると訴え、施設に丸投げして当たり前みたいな感じにしているのには腹が立ちますね。
長年、コノ組織で「法戦」と称した選挙運動をやってきたので、その家族の気持ちも解らなくはないです。
取れるものならどんな手を使ってでも支持する候補者や政党を勝たせたいという気持ちになります。ましてや決戦の日当日ですし。
ソノ政党の勝利はソノ組織の勝利であり、ソノ組織の勝利は名誉会長の勝利だと信じて疑わなかった時がわたしにもあったんですよねぇ。
功徳がほしいからと言って仕事を放り出してF活動に奔走する姿は狂気の沙汰です。
誰彼かまわず特定の政党への支援をしている姿は見るに耐えません。
選挙が終われば、やれ未来部育成だ!やれ教学試験だ!と言い始めるんだから全くのご都合主義ですよね。
もぅこんなことに翻弄されるのはゴメンです。
・・・・・・・以上引用おわり・・・・・・・・
活動なんて信仰とは直接なんの関係もないですし、ましてや「選挙活動」なんて間接的にも関係ありませんね。
それを「信心」なんていうのは「強引」というより「詐術」「嘘」ということになります。
法華経にも御書にも「選挙」「支援活動」「F」なんてものは一文字ありません。
家事放棄して家庭不和になったり家族に迷惑をかけても誰も責任をとってはくれませんし、組織も助けてくれません。
そういうことをしているから世間はいつまでたっても創価学会をまともに相手にしたくなくなるんですね。
「イエスマン」を徹底的に利用し、「イエスマン」は徹底的に利用されるだけですが。
そこには「健全な民主主義」はありません。
法令に該当する条文がなければなにをやってもいい、そういう考えは無軌道な青少年や暴力的指定団体には一般的な傾向ですが、創価学会員の場合も「ガチ」「バリ活」「盲信」「狂信」などと呼ばれるヒトたちはそうした傾向が強いですねぇ。
そうしたヒトたちは「適法」とか「合法」といったことも、「法の精神」ではなく一種の「ゲーム感覚」で判断しているのかもしれません。
「期日前投票」とか「代理投票」を「悪用」するという行為が「信心」だとでも思っているんでしょうねぇ。
【功徳がほしいからと言って仕事を放り出してF活動に奔走】
なんの根拠もないことに気がつかないんですよねぇ。
日蓮さんの御書にも法華経にも、牧口さんの全集や戸田さんの全集にも、そんなことは1文字も書かれていません。
まぁ、狂信的「新興宗教」によくある勝手な理屈でしかないですねぇ。
こうしたヒトたちが「政党」を作って「国会議員」や「大臣・副大臣」まで出しているのが今の日本です。
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■期日前投票、前回比10.9%増=15日間で1060万人【13参院選】
(時事通信社 - 07月20日 21:01)
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%b4%fc%c6%fc%c1%b0%c5%ea%c9%bc&k=201307/2013072000259
総務省は20日、参院選選挙区での期日前投票の中間状況を発表した。公示翌日の5日から19日までの15日間で投票者は1060万4064人となり、2010年の前回参院選の同時期と比べて10.9%増加した。参院選の期日前投票者は前回、過去最高の1208万5636人に上っており、今回も記録を更新する可能性が出てきた。
投票者数は、富山、愛媛、佐賀、長崎、大分の5県を除く42都道府県で前回同時期を上回った。最も増加率が高かったのは沖縄県の31.3%で、岩手県27.9%、岐阜県26.5%と続いた。
まづ、「
聖教新聞」昭和32年10月18日付「私の初信当時」欄に掲載されている記事には次のように書かれています。
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私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。
(中略)
折伏されたのは、前の本部です。
(中略)
前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。
(中略)
私はそこで教学部長から折伏された。
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当時の教学部長は小平芳平氏(故人)で、後に参議院議員を長く務めました。
この記事よりも1年前に出版された本には次のような記述があります。
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生まれは大森のノリ屋です。三歳くらいの時蒲田に移り、それ以後東京に住んでいるわけです。
小学校では栄養不良で三・四回も死にそこない、がんらい体が非常に弱かったんです。
終戦の年には六回目の肋膜をしていましたし、肛門性(コウモンネンパクビラン)のものでのもので、耳や鼻などみんな悪く、血啖が出てたんです。
終戦の反動でなにかやりたいという気持ちがあって、
学校時代の友人に誘われて創価学会の本部へ行きました。
その友だちは哲学のいい話があるがこないか、とさそったのです。
私は友人と二人で行ったのですが、三、四十人もいたでしょうか。
五時間くらいもそこで締めあげられたのです。
南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。
負けたのでシャクにさわってしかたがない。その時の感じをいえば、理論をうけとめる素地がないからわからない。
それだのに相手は確信を持って話している。こちらは観念的で浮いているような感じがしたのです。そのときの話はこうなんです。
『これから先のこと、二〇年先のことがわかるか。
これから年をとって、その先のなんのために生きたかを考えることになるがそれならば今のうちに考えたらいいではないか。
自分の宿命だけは自分でも知らないではないか。誰が援助しても、社会的に偉くなっても宿命だけはわからない。
宿命は解決できるか、人生一度死ぬではないか。
苦しんで死ぬのはしかたない。この四つの全部がわかっていれば信仰の必要はない。
分からなければ真面目に考えろ。信仰をしろ』というのです。
私はこれに答えられず、信仰すると答えたのです。
それでお題目を唱えろということでしたが、はずかしくてしかたがなかったのです。
友人は入信しないで黙っていました。
それから御本尊をお下げするという話で、私は三〇分間ほどいりませんとがんばったんです。
すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました。
家に帰っても三日間はおがまずにほっておきました。
三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました。
そのころはバチがこわかったのです。
前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。
全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される。
その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました。
三年目の八月に戸田さんの出版に小僧から入りました。
信用組合にも入っていたんですが、アパートに住んで、給与もなく乞食同然で苦しくて仕方なかったんです。
戸田のところへいったからというので、家からは勘当同然でした。
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以上は、
小口 偉一・編
『宗教と信仰の心理学(新心理学講座4)』河出書房
1956年7月15日・発行
からの引用ですが、一読しておわかりのとおり、発言者は池田大作氏です。
『人間革命』第2巻では、蒲田の友人宅で折伏されたことになっていますし、この物語と同じような内容はその後繰り返し活字にされ、池田氏自身も語っています。
つまり、
「蒲田の友人宅」は嘘
「戸田会長に折伏された」は嘘
「その場で即興の詩を述べた」は嘘
「その場で戸田会長を師匠と思った」は嘘
「その場で入信決意した」は嘘
ということです。
嘘を事実であるかのように教える人物や教団がまともであると言えるでしょうか。
これは、「悪口罵倒」ではなく、池田氏の言葉を「文証」とした指摘です。
また、『宗教と信仰の心理学』に記されているように、本尊を「むりやり」「押しつけ」られた段階では「入信決意」すらしていません。
「入信決意」していない者に本尊を「押しつけ」ても、数字の上では折伏成果を計上できるわけですね。
雷ゴロゴロでお題目、まるで幼稚園児か小学生のようですね。
「私ばかり狙っているように思った」
というのは「強迫神経症」の一種のように思えますね。
しかも入ってから、
「やめるなら今のうちがよいと考えました。」
といい、その理由が、
「全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される。その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、」
てのことだと言うのですから
「ヘタレ」
つまり創価学会的には
「憶病者」
ということになりますねぇ。
何故このような「書き替え」を行なったのかといえば、「師弟不二」を演出し強調したかったということではないでしょうか。
つまり
「選ばれたのは自分だ」
と言いたかったのでしょう。
『小説 人間革命』というのは、創価学会の戸田城聖氏(故人)が書いた「宗教小説」の題名です。
初出は『聖教新聞』昭和26(1951)年4月20日の創刊号からの連載。
後に、加筆訂正のうえ精文館から昭和32(1957)年7月3日に単行本として発刊されました。
この「人間革命」という題名については昭和23(1948)年に出版された、東大総長であった南原繁氏(故人)の同名の著作名から借りたものだと思い、このことは昭和48(1973)年に指摘しました。
。
しかし、どうやらそうではなかった可能性が出てきました。
詳しいことはいづれ述べたいと思いますが、今回は「南原繁淵源説」を保留するという報告だけさせていただきます
犀角独歩さんが、京都本圀寺に蔵されていた『本迹体一抄』の翻刻をされた。
http://mixi.jp/list_voice.pl?owner_id=14027330&from=navi
独歩さんのブログ
犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51996386.html
をみていただきたい。
このことがもたらす意味は尋常ではないだろう。